いまから2万4300年前のある日、黒斑山の山体が東へ大きく崩壊した。土石なだれは高速で流れ下り、まっすぐ東へ進んで白糸の滝付近の平坦な高まりに達したのち、北と南へ分かれた。
 北へ向かった流れは長野原町応桑に多数の流れ山を形成したが、そこで止まらなかった。多量の土砂が吾妻川に流入した。流れは渋川で利根川に流入し、前橋で関東平野に達した。そこの緩やかな河床勾配のために土石なだれの流速は急速に衰え、厚さ十数メートルの堆積物がそこに残った。これが前橋台地である。
 南へ向かった流れは南軽井沢に流れ山をつくったのち南西に向きを変え、佐久市塚原に達した。千曲川がそのあたりで南西に湾曲して流れているのは、この押し出しによる。相当量の土砂が千曲川を下ったと思われるが、利根川の前橋台地に対応する地形は千曲川にみられない。この土石なだれ全体を塚原土石なだれと呼ぶ。発生源である黒斑山には、東に開いた馬蹄形カルデラが残された。湯の平を断崖が囲んでいる。
 浅間山の東方では、この時期の降下テフラを5枚観察することができる。下から、板鼻褐色軽石BP0、BP0.5、BP1、BP2、BP3である。5枚の軽石層の間には休止期に堆積した厚さ10cm程度のレスがそれぞれ挟まれている。BP2軽石の下にレスを挟まずに塚原土石なだれ堆積物が直接重なることを南軽井沢の塩沢湖で確かめることができたから、BP2噴火事件の経緯は次のように組み立てられる。
 地下深所から上昇してきたデイサイトマグマが山体を押し上げて重力的に不安定にした。ついに大規模崩壊に至って土石なだれが発生した。荷重が急激に取り除かれたため、デイサイトマグマが火道内をすみやかに上昇してプリニー式噴火が始まった。これは、アメリカ合衆国ワシントン州のセントヘレンズ山で1980年5月18日に実際に起こった事例を念頭においてつくったシナリオである。セントヘレンズ山の事例では、荷重除去による急激な減圧のために山体内にあった潜在溶岩ドームが大爆発を起こし、発生した爆風が700平方キロの森林をなぎ倒し、27キロ地点まで到達した。黒斑山の事例で爆風が発生したかどうかは、まだ確かめられていない。
 馬蹄形カルデラを修復すると均整な円錐形火山体が復元できるので、黒斑山は2万4300年前の直前1〜2万年以内に一気に形成された火山だと思われる。
 石尊山は、黒斑山に寄生して生じた溶岩ドームだとこれまでみなされてきたが、地形をよく観察すると、黒斑山の山腹を流れた溶岩の先端のようにもみえる。
塚原土石なだれがつくった流れ山地形
2万4300年前に浅間山が崩れて発生した塚原土石なだれは、長野原町応桑にたくさんの流れ山を残した(地点1)。 
応桑の田通にある双子の流れ山。現在までの2万4300年間に堆積した2.5メートルのレスと1万5900年前に降り積もった1.5メートルの嬬恋軽石に厚く覆われているから、なだらかな曲線からなる地形をなす(地点2)。
P1020585s.jpg下小菅にある別の双子、中間に家を建てて住んでいる人がいる。流れ山の斜面は耕作できないから林のまま残る。それによって冬季の風除け効果が期待できる(地点3)。
流れ山の断面

流れ山の内部は、多種多様で大小さまざまの岩石あるいは表土からなっている。色調を同じくするかたまりが認識できる。黒斑山を構成していた各部分がパッチワークをつくっている。地表に複数の流れ山があることと内部にパッチワーク構造が見られることが、土石なだれが残した堆積物の二大特徴である(地点70)。

軽井沢町杉瓜の発地川右岸で見られる見事なパッチワーク構造。

流れ山の中身がそっくり露出している。中央に大きな溶岩があって、たくさんのひびが入っている。土石なだれとして移動中に入ったと思われる。このひびが作業を容易にしているらしく、塚原土石なだれの流れ山はしばしば採石の対象になっている(地点16)。

 溶岩の左右には、火砕流堆積物が付着している。まったく無関係の場所にあった地層が、土石なだれの流下過程で接合した。
前橋・高崎まで達した塚原土石なだれ
土石なだれは、吾妻川を下って渋川で利根川に合流したのち、関東平野の北西隅に扇状地を展開した。前橋と高崎は、その上につくられた都市だ。群馬県庁は、この堆積物上に建っている。ここまで来ると、パッチワークも流れ山もない。しかし、その厚さは10メートルある。
上部に見える水平の縞模様は、1万5900年前の平原火砕流の噴火で前橋に降り積もった軽石(YP)と火山灰。左の高層ビルは群馬県庁。
赤岩
 崩壊土砂は、北側だけでなく南側にも流れた。新幹線の佐久平駅はこの土砂の上に建設された。この崩壊土砂の中には、浅間山の心棒をつくっていた特徴的な赤い岩が含まれている。これを赤岩とよぶことにする。その際立った形状と赤色がひとの信仰心を引きつけるらしく、佐久では「赤岩弁財天」、中之条では「とうけえし」、前橋では「岩神の飛石」、高崎では「聖石」として、それぞれ祭られている。
 今回、長野原で二つの赤岩を新しくみつけた。

長野原郵便局下の赤岩
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与喜屋(よぎや)の赤岩。新井橋の東詰南。
御代田町の流れ山
 御代田町の居住区のほとんどは平原火砕流か追分火砕流でできているが、そのどちらにも覆われなかったところがある。
IMGP1179s.jpgそれは、飯玉神社だ。ここだけ、平原火砕流台地の中に突出している。塚原土石なだれの流れ山だと思われる。

 
 
 
浅間火山北麓の電子地質図 2007年7月20日
著者 早川由紀夫(群馬大学教育学部)
描画表現・製図 萩原佐知子(株式会社チューブグラフィックス
ウェブ製作 有限会社和田電氣堂
この地質図は、文部科学省の科研費(17011016)による研究成果である。
背景図には、国土地理院発行の2万5000分の1地形図(承認番号 平19総複、第309号)と、 北海道地図株式会社のGISMAP Terrain標高データを使用した。