鬼押出し溶岩は8月5日の鎌原土石なだれのあと、天明噴火の最後の出来事として山頂火口から流出したと長い間考えられてきたが、そうではなく、8月2日から始まったプリニー式噴火と同時に山頂火口の北縁からあふれ出して北山腹を流れ下ったのだと思われる。そう考える状況根拠は次である。
  • 8月4日午後に発生した吾妻火砕流の流下方向に影響を与えている。
  • 表面にスコリアラフトをのせている。
  • 8月5日10時に発生した鎌原土石なだれの中に、鬼押出し溶岩から生じたと思われる黒岩が多数含まれている。
  • 前進する安山岩溶岩流の先端で爆発が起こった事例が他の火山で知られている。
  • 8月5日昼以後に書かれた史料に鬼押出し溶岩流出の目撃証言がない。
 2006年10月、浅間山北麓の標高1730メートル付近にある鬼押出し溶岩の一角で、その表面をおおう吾妻火砕流の堆積物を発見した。そこには、吾妻火砕流だけでなくプリニー式軽石もみられる。この発見によって、8月4日午後には鬼押出し溶岩が北山腹に存在したことが、状況証拠によって推論されるに留まらず、事実として確認された。
 豊富に残されている天明三年噴火史料の中に、鬼押出し溶岩の流出は本当にひとつも書かれていないのだろうか。8月5日以後の縛りを解いて、史料の中に鬼押出し溶岩と解釈できる記述がないか探してみよう。
 8月5日(七月八日)未明、鎌原土石なだれ発生の数時間前、鎌原用水の源泉に泥が山のように湧き出していた、あるいは4メートルほども泥が湧き上がっているのを見たという報告がある。これこそが鬼押出し溶岩流出の目撃証言でなかろうか。江戸時代のひとに溶岩という概念はなかっただろうから、湯気を上げながらゆっくり前進する鬼押出し溶岩の先端を泥の山だと認識したとしてもおかしくない。
 「神(鎌)原の用水ハ浅間の腰より来ル.七日晩流一円来す.村の長たる者不思議成事かな源を見んと八日の未明見に趣しに泥湧出つる事山の如し.見と斉しく飛鳥の如く立帰り村へ来ルと大音に、大変有家財も捨て逃よ逃よ(と)呼りて我家へ帰、取者もとりあへずあたり(近)辺を引連て高き山へ遁れて命恙なし。呼ばれたる家にて、何気違の有様逃てよくバ朝飯給て退くべしと油断する中、大浪天にみなぎり其はやき事一時に家も人も皆泥中のみくずニ成。」蓉藤庵『浅間山大変実記』萩原史料2.201
「七月初瀧原ノ者草刈ニ出テ谷地ヲ見候へハ谷地之泥二間斗涌あかり候。是ヲ見テ畏レ早速家財ヲ被仕廻立退候。」毛呂義郷『砂降候以後之記録』萩原史料3.141-142
 その恐怖は、村人たちがただちに家財をまとめて立ち退くに十分だった。朝食をすませてから立ち退こうとした家族は泥に飲まれてしまったという。この逃げ遅れによる明暗は、大笹村名主黒岩長左衛門(大栄)が蜀山人に依頼して書かせた文章に盛り込まれた教訓を思わせる。
蜀山人記念碑(5.162-163)
信濃なるあさまかたけにたつ烟ハふるき歌にも見えてをちこちの人のしる所なり。いにし天明三のとし夏のはしめよりことになりはためきてほのほもえ上り、烟ハ東のそらになひきて灰砂をふらし、泥水をふき出し、同七月五日より八日にいたるまで夜昼のわかちもなく、ふもとの林ことごとくやけ、泥水ハ三里はかり隔りたる吾妻川にあふれゆきて凡二十里あまりの人家林田圃ハいふに及ばず、人馬の流死せしもの数をしらす。しかるに有かたきおほんめくみによりてやうやうもとの如くにたちかへるといえへとも、たつ烟ハさらにやます。いにし年この災をおそれて速にたちさりしものハからき命をたすかり、おそれすして止れるものはことごとく死亡せり。これより後にいたりて又も大きにやけ出んもはかりかたけれは、里人この碑をたてて後のいましめとなすことしかり。
富士のねの烟ハたたすなりぬれとあさまの山そとことハにみゆ
文化十三年丙子秋九月 蜀山人書
黒岩大栄建
ブロック溶岩とスコリアラフト
 鬼押出し溶岩の表面は典型的なブロック溶岩で覆われている。水あめのような状態の高温溶岩の表面が冷えて固まろうとするとき、内部から押されてこのように割れる。数十センチの大きさと、平滑な面とするどい稜が特徴だ。
P1010302s.jpg 横から見た。溶岩ブロックは斜面を崩れ落ちて、崖錐(がいすい)を形成する。左背後に小浅間山溶岩ドームがみえている。やはり周囲を崖錐で囲まれている。ふたつの傾斜がほとんど同じであることに注意。
P1010289s.jpg ただし、鬼押出し溶岩の一部には天を突くスコリアラフトもみられる。山頂火口縁で溶岩流に取り込まれたスコリアラフトは軽いので、高温溶岩の表面に浮かんでここまで運ばれてきた。
スコリアラフトの接写。発泡したスコリアがまだ熱いうちに積み重なってできたことがわかる。鬼押出し溶岩の流出中に火口の上に高い噴煙柱が立ったことの直接証拠だ(地点54)。
浅間園Dコースの鬼押出し溶岩
 赤いスコリアのまわりを溶岩がまんじゅうの皮のようにとりまいている。鬼押出し溶岩が釜山スコリア丘を壊しつつ流れ下ったからこの構造が生じた。
IMG_0230s.jpg水冷されてできた亀甲割れ目を表面にもつ溶岩。柳井沼の水と接触したことを思わせる。 
 
浅間火山北麓の電子地質図 2007年7月20日
著者 早川由紀夫(群馬大学教育学部)
描画表現・製図 萩原佐知子(株式会社チューブグラフィックス
ウェブ製作 有限会社和田電氣堂
この地質図は、文部科学省の科研費(17011016)による研究成果である。
背景図には、国土地理院発行の2万5000分の1地形図(承認番号 平19総複、第309号)と、 北海道地図株式会社のGISMAP Terrain標高データを使用した。