『当代記』に、「慶長三年….四月八日(1598.5.13)、浅間山江参詣衆八百人程焼死云々、昨日大小之違ニテ、今日ハ不縁日之由、山巓ニテ呼ルト云へ共、只人間ノ所謂也ト心得、不用之、参詣之処、如此、」とある。
 『当代記』は、著者や成立年代がよくわからない記録である。800人ほど焼死したと書いているが、「云々」と締めくくっていることから、伝聞情報をもとに書かれた記事であると思われる。
 たしかに四月八日は浅間山の山開きの日であるから(田村・早川、1995)、その日に大勢の信者が登山したかもしれない。しかし800人という数は、登山中に火口周辺で爆発に遭遇して亡くなる人の数として現実的でない。
 
浅間火山北麓の電子地質図 2007年7月20日
著者 早川由紀夫(群馬大学教育学部)
描画表現・製図 萩原佐知子(株式会社チューブグラフィックス
ウェブ製作 有限会社和田電氣堂
この地質図は、文部科学省の科研費(17011016)による研究成果である。
背景図には、国土地理院発行の2万5000分の1地形図(承認番号 平19総複、第309号)と、 北海道地図株式会社のGISMAP Terrain標高データを使用した。