地学雑誌106巻5号(1997年10月発行)

燧ケ岳火山の噴火史

早川由紀夫・新井房夫・北爪智啓

abstract

 

I.はじめに

 燧ヶ岳はおよそ500年前にも噴火した若い火山である(早川,1994,1995).近い将来また噴火するかもしれない火山は,その誕生から現在までの噴火史全体を知っておくことが,火山防災のためには,必要不可欠である.私たちは,現地を地質調査することによって燧ヶ岳の噴火史を組み立てたので,ここにその結果を報告する.

 燧ヶ岳火山の地質図

 

II.燧ヶ岳の噴火史

 35万年前(モーカケ火砕流台地と七入軽石)

 燧ヶ岳で確認できる最古の噴火堆積物はモーカケ火砕流堆積物である.この火砕流は檜枝岐川の上流から噴出して,溶結凝灰岩からなる広い台地を標高1400mふきんにつくった.その一部はいまブナ平として残っている.この台地は,のちの燧ヶ岳をのせる土台となった.モーカケ火砕流堆積物は,尾瀬沼の南岸にも露出している.尾瀬ヶ原の地下それほど深くないところにもあるにちがいない.また,渋沢大滝と渋沢温泉小屋の間にも露出していて,そこではモーカケ火砕流堆積物の下位の地層から白濁した温泉が湧いている.

燧ヶ岳の断面図

 

 尾瀬ヶ原を流れるヨッピ川は,モーカケ火砕流噴出以前は只見川に注いでいたのではなく,檜枝岐川に注いでいたらしい.七入の国道切り割り(地質図の地点348)で,当時のヨッピ川が運んだ礫層をみることができる.

 この礫層の上には,モーカケ火砕流の数時間前に噴出したとみられる七入(なないり)軽石(厚さ5m,軽石の最大粒径22cm,岩片の最大粒径5cm)がのっている.檜枝岐はこの軽石の分布軸上にあるが,遺跡(七入遺跡・下の原遺跡・上の台遺跡)がすべて縄文後期であり,縄文中期以前がまったくみつからないことからわかるように,ここの段丘は完新世になってから離水したものばかりである.そこに七入軽石をみつけることはできない.

 

35万年前の七入軽石が河成礫層を覆っている.(檜枝岐村七入;地質図の地点348)

 

 七入軽石はガラス・紫蘇輝石・普通輝石・磁鉄鉱・斜長石からなる.ガラスと斜方輝石の屈折率測定を表1に示す.これとよく似た特徴をもつテフラは那須火山東麓で3枚知られている(鈴木,1992).それらは,福島県西郷村に分布する伯母沢北軽石と折口原火山灰,および栃木県那須町に分布する高久(たかく)軽石である.これら3枚の層厚はいずれも8-30cm,最大粒径は0.2-1.3cmであるから,西へ80kmはなれた燧ヶ岳から飛来して那須火山東麓に降下したテフラであると考えておかしくない.これら3枚のテフラの年代は,どれも30数万年である(早川,1996).ここでは,七入軽石がこれら3枚のテフラのいずれかであると考え,その年代を35万年と考えよう.もしかすると,これら3枚のテフラはすべて燧ヶ岳から噴出したのかもしれないが,燧ヶ岳近傍でテフラを観察できる露頭の数が限られているため,七入軽石の上下に同様の軽石がないかどうかを確かめることはむずかしい.表1をみると,燧ヶ岳近傍で採取されたテフラ試料(348-1, 22, 3)には,ガラスと斜方輝石の屈折率に若干の違いがみられるので,複数の噴火事件で生産されたテフラ岩体をひとつの噴火事件(すなわち七入軽石とモーカケ火砕流)によるものと過度に簡略化してここで認識している誤りを否定できない.

 七入軽石は,七入の国道切り割りのほかに,長池の道路脇(地点22)でもみることができる.そこでの軽石の最大粒径は18cm,岩片の最大粒径は14cm,厚さは10m程度である.岩片の粒径からみて,火口はそこから3km以上離れていないと思われる.現在の燧ヶ岳頂上直下にあったと考えておかしくない.なおモーカケ火砕流と七入軽石は,渡邊(1989)の命名による.

 

 

尾瀬ヶ原からみた燧ヶ岳.柴安グラ火山に覆われた大橇沢火山が左スロープに肩をつくっている.山頂は柴安グラ(2356m).その右にマナイタグラ・御池岳(M)・赤ナグレ岳がみえる.

 

 10万年前?(大橇沢の火山体と渋沢大滝の溶岩流)

 尾瀬ヶ原から燧ヶ岳をみると,左スロープに,山頂に向かってわずかに傾斜した肩があることがはっきりわかる.肩より左は,山頂を頂点として広がっている円錐火山体より古い山体である.この山体を大橇沢(おおぞりざわ)火山とよぼう.大橇沢火山の表面を空中写真で観察すると,両端に自然堤防をもった溶岩流が一枚確認できる.その先端は渋沢(しぼさわ)大滝に達している.現地(地点352)へ行ってみると,モーカケ火砕流堆積物の上に厚さ40mの溶岩流をみることができる.大橇沢火山がいつ形成されたかを知る確かな情報はないが,標高1700mに溶岩堤防の地形が残されているから,氷期を何度も経験したとは思えない.海洋同位体ステージ6(15万年前ころ)より新しいと思われる.10万年前ころ(誤差は±5万年程度)と思ってよいだろう.

 1万9000年前(重兵衛池溶岩流,熊沢田代溶岩ドーム,柴安グラ火山)

 北東山腹の1990m地点から流出した重兵衛池溶岩は,地点345で,浅間嬬恋(つまごい)軽石(YPk,早川(1996)による年代は 1万5900年前)に覆われている.嬬恋軽石の下には30cmのレスがあって,さらに火山砂/溶岩塊と重なっている.レスの堆積速度を10 cm/kyとみれば,重兵衛池溶岩の噴火年代は1万9000年前ころとなる.嬬恋軽石の上のレス中にも火山砂層が二枚挟まれている.

 

1万9000年前の熊沢田代溶岩ドーム上昇にともなって発生した熱雲の堆積物.炭化木(C)を含む砂礫層である.基底に降下火山灰層(F)を敷く(地質図の地点343).

 

 1995年9月28日,御池(みいけ)の西1.5kmの道路法面工事現場(地点343)にあらわれた崖錐性ロームの中に,厚さ1mほどの角砂礫層があらわれた.これは,熊沢田代溶岩ドームの上昇に伴って発生したプレー式熱雲の堆積物である.この噴火によって,燧ヶ岳北側の広さ数十km2の森林が一瞬のうちに破壊されたはずである.この熱雲堆積物の中に含まれていた炭化木の放射性炭素年代を,米国のベータ社に加速器質量分析法(AMS)によって依頼したところ,16,270±70yBP (Beta-88159)を得た.この時代の放射性炭素年代は,暦年代より約3000年若く出るから(Laj et al., 1996 ; Taylor et al., 1996など)この熱雲が発生したのは1万9000年前と考えられる.

 重兵衛池溶岩と熊沢田代溶岩ドームは同時あるいは相次いで噴火したのだろう.また,山頂を頂点とする円錐火山体(これを柴安グラ火山とよぼう)もその直前につくられたのであろう.柴安グラ火山は,やや厚いローム層に覆われている.

 8000年前?(沼尻岩なだれと赤ナグレ溶岩流)

 柴安グラ(2356m)とマナイタグラ(2346m)の二つのピークは,燧の双耳峰としてよく知られている.この地形は,山頂を含む3×107m3の土塊が一気に南へ滑り落ちたことによって生じた.ミノブチ岳の西縁に沿うナデッ窪は,そうしてつくられた馬蹄形凹地の名残りである.

 

尾瀬沼南岸からみた燧ヶ岳.馬蹄形凹地(破線)を赤ナグレ溶岩流が埋めている.左端は沼尻岩なだれの流れ山.このせき止めによって尾瀬沼が生じた.約8000年前のことである.

 

 沼尻(ぬしり)に展開する流れ山地形は,その岩なだれが残した堆積物の表面である.尾瀬沼は,これによって沼尻川がせき止められて生じた.尾瀬沼の底から柱状試料を採取すれば,このせき止めすなわち沼尻岩なだれがいつ起こったかを精度よく知ることができるだろう.

 いまある情報のなかでは,尾瀬ヶ原で掘られた井戸P73のボーリング結果が注目される.阪口(1989, p82)によると,鬼界アカホヤ火山灰(早川(1996)による年代は 7330年前)の50cm下まで泥炭層が存在して,地表からそこまでに顕著な砂礫層は挟まれていないらしい.泥炭層の下には,黄灰色の粘土層があったという.この粘土層は沼尻岩なだれと関連した堆積物ではなかろうか.泥炭層の堆積速度を100 cm/ky とみると,粘土層最上部の堆積年代はおよそ8000年前と見積もられる.流れ山を覆うローム層が薄いことも,この岩なだれが完新世になってから発生しただろうという見方を支持している.

 沼尻岩なだれを供給した馬蹄形の欠損空間のかなりの部分は,その後,赤ナグレ岳とそこから流れ下った溶岩流によって埋められた.現在そこには厚い溶岩流が4枚積み重なっている.最後に流れた溶岩は途中で二股に分かれている.どの溶岩もロームにほとんど覆われていない.尾瀬ヶ原から燧ヶ岳をみると,崖錐と土石流からなる平滑な左側斜面とこの赤ナグレ岳溶岩からなるゴツゴツした右側斜面が好対照をなしている.おそらく,沼尻岩なだれの直後に地表にあらわれたマグマがこれらの溶岩流をつくったのであろう.

 山頂北側,シボ沢の谷頭にあたる北側の崩壊壁は,一回の崩壊によってではなく,徐々に削られてできたものである.只見川との合流点にはシボ沢を流れ下った土砂がつくった小さな扇状地がみられる.その断面にはパッチワーク構造がみられるから,徐々にとはいっても,一回一回の土砂移動の量は小さいものではなく,家屋を破壊するだけの力はもっていた.

 

柴安グラからみた御池岳溶岩ドーム.500年前に出現した.中央のへこみが粘土を降らせた火口.

 

 500年前(御池岳溶岩ドーム)

 柴安グラ・マナイタグラ・赤ナグレ岳に囲まれた空間に御池岳溶岩ドームが生じたのは16世紀のことである.この溶岩ドームはたいへん穏やかに出現したらしく,麓の檜枝岐にも噴火の模様を書いた古記録は存在しない.

 ただし溶岩ドームが常温まで冷却する最終過程で,内部に閉じこめられたガスが爆発する事件が起こった.西北西-東南東に伸長した120m x 70mの浅いすり鉢状くぼみが山頂平坦面のほぼ中央にある.ここから噴出した白色粘土層が,榛名伊香保軽石(6世紀)の上10cmにあることがこの噴火を16世紀と考える根拠である(口絵写真4;早川,1994, 1995).

 硫黄沢と自動車道路の交点(地点20)で,白色粘土層の上に土石流堆積物が直接重なることを傍証にして,早川(1994)は,檜枝岐村にかかっていた橋をすべて落とした1544年(天文十三年)の白髪水が,この爆発の直後に起こった洪水であろうと考えた.その後の文献調査によると,この洪水が発生したのは1544年7月28日であり,史料には「白ヒケ水」と書かれていることがわかった(川松,1996).

 

6世紀に榛名山から飛来した伊香保軽石(ねじり鎌の刃の層位)と,その上10cmにある燧ヶ岳白色粘土層(16世紀).(檜枝岐村硫黄沢;地質図の地点20の西100 m)

 

III.燧ヶ岳火山の活動度 

 燧ヶ岳火山は,およそ35万年前に誕生して以来,現在までに17×1012 kgのマグマを噴出している(図2).その1/2以上が初期段階に噴出してしまったことが大きな特徴である.35万年間の平均マグマ噴出率は4.9×1010 kg/千年だが,完新世(最近1万年間)だけに限ると,1.0×1011kg/千年である.この完新世マグマ噴出率は,日本列島でもっとも活動的な火山(たとえば,富士山・伊豆大島・十和田湖)のおよそ1/20であるが,草津白根山や箱根山の噴出率とほぼ等しい.

  

 

IV.まとめ

 檜枝岐村七入の国道脇に露出している厚いプリニー式軽石は,現在の燧ヶ岳山頂ふきんから35万年前に噴出したらしい.その直後に発生したモーカケ火砕流の堆積物が燧ヶ岳の土台をつくっている.およそ10万年前に大橇沢の円錐火山体がつくられたあと,しばらくして中心火道をやや南東に移して現在の円錐火山体がつくられた.1万9000年前には,その火山体の北東山腹二ヶ所で側噴火が発生して重兵衛池溶岩流と熊沢田代溶岩ドームが生じた.御池岳と赤ナグレ岳を取り囲む南に開いた馬蹄形崩壊壁は,沼尻に流れ山地形を展開している岩なだれ堆積物を供給した痕である.尾瀬沼はこの事件でせき止められて生じた.およそ8000年前のことだった.16世紀に御池岳溶岩ドームがつくられた.その噴火末期にドーム頂上で水蒸気爆発が起こり,北東の檜枝岐方向へ白色粘土が降った.それは,1544年7月28日に檜枝岐川を下った白ヒケ水洪水の数年前のことだった.燧ヶ岳火山は,およそ35万年前に誕生して以来,現在までに17×1012kgのマグマを噴出している.その噴出率は4.9×1010kg/千年である.

 

謝辞 この研究は,群馬県立自然史博物館の調査研究事業として行われた.現地調査を矢野亜希子さんと佐藤成夫さんに手伝っていただきました.

文 献
早川由紀夫(1994)燧ケ岳で見つかった約500年前の噴火堆積物.火山,39,243-246.
早川由紀夫(1995)活火山だった尾瀬の燧ケ岳.科学朝日,55,34-37.
早川由紀夫(1996)マスターテフラによる日本の100万年噴火史編年.火山,40,特別号,S1-S15.
川松修一(1996)天文十三年「白髪水」の被害と歴史時代の燧ヶ岳噴火.群馬大学教育学部地理学卒業論文,95p.
Laj C., Mazaud A., Duplessy J.-C. (1996) Geomagnetic intensity and 14C abundance in the atmosphere and ocean during the past 50 kyr. Geopys Res Letters, 23, 2045-2048.
阪口 豊(1989)尾瀬ヶ原の自然史.中公新書928,中央公論社,230p.
鈴木毅彦(1992)那須火山のテフロクロノロジー.火山,37,251-263.
Taylor R.E., Haynes C.V., Stuiver M . (1996) Clovis and Folsom age estimate: stratigraphic context and radiocarbon calibration. Antiquity, 70, 515-525.
渡邊久芳(1989)尾瀬燧ヶ岳火山の地質.岩鉱,84,55-69.


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