地学セミナー

活火山だった尾瀬の燧ヶ岳

「きつい登りですよ.下山に使う人はときどきいますけど.」
 ビジターセンターの職員はこう答えた.尾瀬沼の北西端の沼尻から燧ケ岳へ直登しようと考えて,情報を仕入れに行ったのだ.どうやら,このナデッ窪ルートは一般には敬遠されているらしい.引率してきた17人の学生の何人かが,大清水から三平峠までの登りですでに顎を出していた.なだらかで楽な長英新道を登ったほうが安心だ.思えば,この予定変更が今回の幸運な発見のはじまりだった.


尾瀬ヶ原からみた燧ヶ岳.左斜面の肩が古い山体の存在を示している.

 地表の粘土層 ニッコウキスゲが満開の浅湖あざみ湿原から登山道にはいる.しばらくは樹林帯のなかのゆるい登りだった.標高1870mくらいから急な登りになってきつかったが,ミノブチ岳の手前500mから再びゆるい傾斜になって少しほっとしたところで小さな田代に出合った.この付近の登山道は田代の中を深さ数十cmの溝をつくって通過している.田代に堆積した黒泥の断面が溝の側面に見える.突然,地表の色が真白に変わった.火山礫がまじった白色粘土層だ.
 あとから登ってくる学生を待ちながらあたりを歩き回ってみると,粘土層の厚さは15〜30cmと薄いが,周囲のいたるところにあることがわかった.谷の中だけでなく尾根にもある.だから,洪水で流れてきたり斜面崩壊によって移動してきた物質ではない.下にある黒泥と明瞭な境界をもって接しているので,風塵が堆積するようにゆっくりとしたプロセスで堆積した地層でもない.短時間のうちに地表に積み重なった地層である.
「どうやら,たいへんなものを見つけてしまったようだ.」
 そばにいた学生に話しかけた.この地層は,火山の水蒸気爆発による降下堆積物に間違いない.直径5cmの火山礫を含んでいるから,遠くの火山から飛来したのではなく,いま登っているこの燧ケ岳の噴火でつくられた堆積物だ.

 噴火は約500年前 燧ケ岳は,数万年前に噴火したと漠然と思われているだけの火山である.ところが,この粘土層の上には黒泥がほとんどみられないから,噴火が起こったのはごく最近ということになる.
 新しい時代に堆積した地層の年代を知りたいときは,すでに噴火年代が知られている軽石や火山灰との上下関係を確かめるのが常套手段だ.幸いなことに,この地域にはよい鍵層がある.榛名山で6世紀に起こった噴火で降った伊香保軽石がそれだ.そういえば,きのう三平峠で,地表の下およそ20cmにその細粒軽石があることを学生に説明したではないか.
 そう思って捜しはじめると,目当ての細粒軽石は粘土層の下10cmにすぐみつかった.予想よりずいぶん下だった.燧ケ岳の噴火は6世紀よりかなりあとに起こったらしい.
 植生に覆われて現在でも黒泥の堆積が続いているところを捜してよく観察したら,粘土層の上にも厚さ5cmの黒泥が堆積していることがわかった.伊香保軽石と地表の間を黒泥の厚さをつかって内挿して,噴火が起こったのは約500年前とひとまず考えた.


御池岳の白色粘土とその下の榛名-伊香保軽石(1400年前)

 噴火口はどこか 赤ナグレ岳と御池岳が燧ヶ岳でもっとも新しい噴火地形であることは,空中写真を観察して事前に調べてあった.とくに御池岳の山頂にある西北西-東南東に伸長した120m x 70mの浅いすり鉢状くぼみに注目していた.
 ミノブチ岳からみると,赤ナグレ岳も御池岳もゴツゴツとした新鮮な溶岩地形をなしていて,このどちらかで約500年前に噴火が起こったことはありそうなことだと思われた.しかし御池岳のくぼみへは,ひどいヤブに阻まれて近づくことができない.噴火口の決定は次回に持ち越す決心をして,雲行きがあやしくなってきたなか,登山者でごったがえす山頂をあとにして尾瀬ケ原へ下った.


山頂に火口をもつ御池岳.

 10月の再調査 紅葉の盛んな10月に御池岳のくぼみへ再度挑んだ.今回は単独行だ.夏とくらべたらヤブこぎはずっと楽である.登山道を離れて10分ほどで目的地に着いた.驚いたことに,くぼみの底には池があった.池の周囲はハイマツとシャクナゲに覆われているが,北西肩にわずか20m x 15mだけ裸地があることを,前回,山頂からみて確認してあった.方向を間違えないように注意しながらヤブをこいで行ってみると,そこはコマクサ群落をもつ乾燥した砂礫地だった.登山道沿いの粘土層に続く地層であると思われた.
 今回は,山頂から御池に下ってそこで一泊する予定だ.下山途中にも,粘土層は地表直下に見え隠れしていた.堆積条件がいいところでは,腕時計に付いている高度計で標高を確かめて,層厚を地形図に記録した.
 国民宿舎に着いて,測定した層厚をにらんで等厚線を描いてみると,御池岳のくぼみから北東へ分布軸が伸びていることがわかった.噴火口はやはりあのくぼみだった.
 等厚線から計算した粘土層の総量は250万トン.これは,今世紀に入ってから草津白根山で何回も起こっている水蒸気爆発の平均値に近い.燧ケ岳の噴火は,ごく普通の水蒸気爆発と思ってよい.

 1544年白髪水 その夜,昔の出来事を書いたものがないだろうかと,国民宿舎の支配人に尋ねたところ,『会津郡長江庄檜枝岐村耕古録』という1978年発行の薄い本を見せてくれた.パラパラと頁をめくると,天文十三年(1544年)「大洪水橋々不残落る.白髪水という」とあるではないか.白髪水とは白い濁流を意味し,それは御池岳から噴出した白色粘土によってつくられたのではなかろうか.1544年はいまから440年前にあたる.期待どおりの年代だ.
 著者の星知次さんに電話してみようと思い立って,支配人に尋ねると,数年前にお亡くなりになったという.残念ながら,白髪水を記した原典がどこにあるのか,まだわかっていない.
 翌日,檜枝岐川上流の硫黄沢と自動車道路が交差する地点を調査した.案の定,前日に登山道でみた粘土層の上に泥流の堆積物がみつかった.粘土層と泥流堆積物の間には何もない.噴火直後に檜枝岐川を泥流が下ったことがこうして確かめられた.

 活火山の定義 日本では気象庁が,(1)噴火の記録があるもの,または(2)噴気活動が活発なもの,という基準で活火山を選定してきた.しかし古記録には地域間不平等があるから,特定地域の活動的な火山が活火山に選定されないことがこの基準では起こりうる.これを改良するため,気象庁は1991年2月,基準(1)を「過去およそ2000年以内に噴火したもの」と変更し,地質調査によってこれに該当することがわかっていた丸山・恵庭岳・倶多楽・十和田・榛名山の5山を活火山に加えた.
 最後の噴火がおそらく1544年であり,6世紀より古くないことが確実な燧ヶ岳は上記の基準を満たしている.

 火山の噴火危険度評価が必要 火山災害を未然に防ぐ手立てにはいくつかの方法がある.古くからよくなされてきて現在も盛んなのは,前兆現象の検出を目的とした機器観測である.最近になって,ハザードマップを準備しておくことが防災のために有益であるという認識が高まってきて,いくつかの火山で製作されている.
 このような防災努力を効果的に(経済的に)遂行するためには,各火山の噴火危険度を客観的基準によって正しく評価しておく必要がある.危険度がほとんどゼロに等しい火山に対策を施すのは無駄であり,危険度がきわめて高い火山を放置するのは怠慢である.
 日本にある火山ひとつ一つの噴火危険度を評価するための基礎データ収集は遅れている.少なくとも,最後の噴火の年代とその規模を,日本のすべての火山ですみやかに調べる必要がある.

科学朝日55(3), 34-37, 1995

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