・浅間離山

 軽井沢駅の北西方向にある浅間離山は標高1256m、比高200m、底径1500mの溶岩ドームである。今から2万2600年前におこった雲場熱雲が噴出したあと、その火道からマグマがせり上がってきて離山溶岩ドームが形成された(早川1998)。山頂部は広く平坦地が広がり、いくつかピークがある。木々が生い茂り、下草も繁茂している。輝石黒雲母角閃石デイサイト質の岩石は、山体にあまり露出していないが、頂部に大きな岩塊がいくつか散在していた。岩石に地衣類は付着しており、風化も進んでいるようであった。表面が小さな穴が開いたようにでこぼこしているものが多かった。とくに小浅間山の岩石の風化とよく似ていた。

 皮膜は薄いがどれにも必ずある傾向であった。大きい岩塊であるのに中まで空洞があるようなマッシブでない岩も多数あったが、それらは岩質がもろく風化が進みやすいせいか、皮膜の厚いものが多かった。被膜の色は白、岩石の色は赤いものと灰色のものがあった。皮膜の厚さは1.88mmであった。図8 浅間離山 (5万分の1地形図「軽井沢」)

・榛名二ツ岳

 二ツ岳は榛名山の6世紀中葉の噴火によってできた溶岩ドームである。榛名二ツ岳軽石を大量に降らせたあと、その火道を溶岩がゆっくりと上昇してきて二ツ岳が形成された(早川1998)。雄岳、雌岳ともうひとつの3つのピークからなる山である。標高は1343m、比高250m、底径1200mのほぼ円形の溶岩ドームである。角閃石デイサイト質の溶岩は、山腹に多数の岩塊を残している。1m四方以上の岩塊が山体下部から山頂までいたるところに点在している。この風景は唯一高原火山富士山溶岩ドームと似ている点である。木々は生い茂り、土壌もあり、岩塊はそれに埋もれるように存在していた。雄岳山頂部は比較的平坦な地形になっており、岩塊は下のそれと比べかなり大きなものとして露出していた。岩石の角はほかの溶岩ドームと比べると明らかに角は取れていなく、とげとげしい印象を受けた(写真2)。

 皮膜を測ってみると、どれも皮膜は薄くではあるがはっきり確認できた。しかしどの岩も同じような厚さで、数値にばらつきがなかった。山頂の露出した岩石は皮膜が平均より厚いものが多かった。皮膜の厚さは1.88mmであった。図9 二ツ岳 (2万5千分の1地形図「伊香保」)

・小浅間山

 小浅間山は浅間山の東山腹に位置する、標高1655m、比高250m、底径1000mの溶岩ドームである。2万1000年前の白糸軽石を降らせた噴火によってできた山で、しそ輝石角閃石デイサイト質の溶岩からなる(早川1998)。岩石の色は茶色からはだいろにかけての色を呈していた。山頂部は2つのピークがあるが比較的平坦な地形をしている。山体の東半分は植被に覆われているが、西半分は裸地になっている。裸地側に3ヶ所岩塊の露出している部分がありそこで測定した。山全体が厚く軽石に覆われていることと思われる。岩石の表面は風化しているためか、小さな穴が開いたようにでこぼこしていて、角は取れて滑らかな形状をしていた。離山の岩石の風化具合と似ていた。

 皮膜はほとんど必ずあったが、薄いものが多かった。白色の皮膜で、はっきりしていた。火口から飛来したと思われる黒い火山弾は皮膜がまったくなかった。そのような岩石は測定から除外した。皮膜の厚さは1.70mmであった。図10 小浅間山(5万分の1地形図「軽井沢」)

・石尊山

 石尊山は浅間山の南斜面に位置し、標高1667m、比高200m、底径1000mの溶岩ドームである。形成年代は詳しく述べられていない。普通輝石しそ輝石安山岩からなるこの溶岩ドームは、山頂部は狭く、植被は山頂まで覆っていた。山頂での岩石の露出が少なかったため、山腹の2地点で露出している岩石で測定を行った。地衣類はあまり付着しておらず、角も比較的角張ったままであった。

 皮膜は必ず観察できたが、薄いものが多く、厚いもの(4mm以上)はまったくなかった。色は赤から白にかけての皮膜であった。また、石尊山と浅間山本体との鞍部には河原状の砂礫地があったが、そこに転石として点在していた黒い火山弾は、皮膜がまったくなかった。皮膜の厚さは1.68mmであった。図11 石尊山(5万分の1地形図「石尊山」)

・横岳坪庭溶岩

 坪庭溶岩は横岳ロープウエーを下りてすぐのところの標高2240m地点に分布している。かなり新鮮な地形を持っており、浅間山の鬼押出しとよく似ていて、溶岩が流れ下ってきた地形がよく残されている(写真3)。植被はあり、低木類の侵入は認められたが、土壌の発達は乏しかった。岩石はほぼ黒色で、安山岩質溶岩、表面はかなり粗くとげとげしい。割ると中まで空隙があった。

 風化皮膜はまったく確認できず、風化の痕跡も見あたらなかった。空隙が多い岩石で内部まで水がしみこんでいたものもあったが、それに伴う変色があるのみであった。八ヶ岳周辺の火山の中では、地形的に見ても最も新しい溶岩であることはいえる。図12 横岳坪庭溶岩 (5万分の1地形図「蓼科山」)  

5、風化皮膜の発達曲線

 測定した風化皮膜の値を表3に表した。値がばらついているため一つの直線で成長曲線を描くことができなかった。これは、各々の溶岩ドームの気候、標高、植被などが異なるため値にばらつきが出てしまったと考えられる。また、植被に覆われている地点で測定を行うと、風化皮膜が不明瞭であることが多かった。不明瞭であることは、水分の供給が常時行われているせいではないかと考えた。不明瞭な風化皮膜の取り扱い方については渡辺(1990)でも述べられているとおり、研究者の測定方法によって発達速度に著しい差が出てくる可能性があることが指摘されている。本研究においては、不明瞭なものでも、変色部の境界部があればそこを皮膜の厚さとして測定した。変色が遷移的に移行し境界部の認識が不可能な場合だけ、測定不可能として除外した。

 グラフでは成長曲線を最大値と最小値の二直線の間に挟まれている部分で考えてみることにした。多少の誤差はあるが、この範囲から逸脱するような急激、あるいは緩慢な発達曲線はないであろう。そう考えると相対的に赤城地蔵岳の風化は発達速度は速く、浅間山の小浅間山、離山、石尊山は発達速度が遅いことが言える。調査に当たった12地点で植被がなく裸地上であったのは赤城地蔵岳と、蓼科山であった。どちらも皮膜がはっきりしていて厚いものであった。おそらく、植被がないと風雨と日光に直接さらされて、皮膜が発達しやすい環境なのであろう。一方でほとんどの地点は植被に覆われていたが、とりわけ岩石の露出が少なく、土壌に埋もれているものが多かった地点では皮膜がはっきりとしていなかった。風雨と日光には直接さらされないが、常に多湿な状況が、はっきりしない皮膜を形成させる環境になるのであろう。

 また、年代がわかっていない坪庭溶岩であるが、皮膜が確認できなかったことから、皮膜のある1400年前の榛名二ツ岳よりは新しい可能性が大きい。とくに、200年前の浅間鬼押出しと地形が酷似していたため、数百年前というオーダーで新しいのではないだろうか?(表3


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