6、高原山富士山溶岩ドームの形成期

1)地質概略

 栃木県北部に位置する高原火山は、標高1795mの成層火山である。この地域の地質については池島・青木(1962)によって岩石学的な研究が、奥野・ほか(1997)によって噴火史の研究がなされてきた。ここではそれらにもとづいて、高原火山の概要を述べる。

 高原火山は地形的に南部の釈迦岳火山体と北部の塩原火山体の2つに大別される。釈迦岳(1795m)を最高峰として、鶏頂山(1766m)、前黒山(1678m)、富士山(1184m)などの諸峰からなっている。地形的に西北側が高いため、東南方向に広く裾野を発達させている。

 高原火山の形成史はその噴火様式から4つのステージに大別される(池島・青木1962)。第1期は凝灰角礫岩と玄武岩溶岩の流出であり、高原火山の基底をなしている。第2期は北部を中心に溶岩が流出し、塩原火山体を形成した。赤川溶岩や上ノ原溶岩がそれであり、K-Ar年代で30万年前に噴出したと報告されている(Itaya et al,1989)。塩原湖成層もこのころまでに形成された。第3期では活動の中心が南部に移り、釈迦岳火山体が形成された。第4期では長い休止期の後、軽石を伴った噴火が起こった。北麓に溶岩ドームである富士山が形成され、釈迦岳からはみつもち溶岩が流れ出した。

 本研究で調査を行った富士山はとくに奥野・ほか(1997)によってくわしく研究されている。富士山溶岩ドームの位置する高原火山北麓は、形成史での第2期における約30万年前に流下した上ノ原溶岩や赤川溶岩に覆われている(池島・青木、1962)。この溶岩の台地に上に富士山溶岩ドームは形成された。富士山溶岩ドームは標高1184m、比高220m、底径600mで山頂部には3つのピークが存在する。両輝石角閃石デイサイトの溶岩ドームである(池島・青木、1962)。比較的急峻な斜面にもいたるところに溶岩塊が散在しており、その地形は榛名二ツ岳溶岩ドームとよく似ている。

 一方、富士山溶岩ドームの西にはそれによりかかるように別の山体がある。これは前出の富士山溶岩ドームと岩質が異なり、両輝石安山岩質溶岩からなる。奥野らにならい前者をFj-D、後者をFj-Cとよぶ(図13)。こちらは標高1147m、比高200m、底径900mである。Fj-Dに比べ緩やかな斜面であり、溶岩塊の露出はほとんどなかった。またこの西端にある新湯温泉ふきんには今でも噴気活動がある。図13 富士山溶岩ドームの区分

2)調査結果

 富士山溶岩ドームの山頂部には3つのピークが存在する(図14)。両輝石角閃石デイサイトの溶岩ドームであり、その形成年代は奥野ほか(1997)によると6500年前だとされている。Fj-Dの山体は下部からたくさんの岩塊が斜面に散在しており、その様相は榛名二ツ岳によく似ていた。しかし、岩石はひとつ一つが角が取れており丸くなっていた(写真4)。これは二ツ岳のそれ(写真2)とは異なっていた部分である。植被に厚く覆われており、下草も繁茂していたが、岩塊は山頂部まで多く散在していた。山頂部は3つのピークからなり、それぞれ「山頂」「三角点」「山頂南」と名付けた。全体として長径300mほどの平坦部をなしており、そのなかに3つのピークがあるという地形をしていた。岩塊は山頂に行くほど数を増し、また大きな岩塊も目立ってきた。地衣類が多く、コケむしている岩塊が多かった。皮膜を測定してみると、はっきりとした皮膜が多く、色は白色を呈した。また、皮膜のあるものとないものがはっきりしていた。ないものに関しては、不明瞭なものと、薄いものの2種類あった。図14 高原山富士山溶岩ドーム(2万5千分の1地形図「塩原」)

 また、新鮮な溶岩の地形をしていると思われる場所が山頂南にあった(写真5、6)。この部分は1回目の測定では皮膜の測定を行わなかったため、2回目の調査で場所を地点1「三角点」、地点2「三角点と山頂南の間の地溝部」、地点3「山頂南」の3地点に分けて、皮膜の測定を行ってみた。結果を(表4)に表す。山頂南においては岩石の角は丸まっていなく、鋭く岩が割れたような様相を呈していた。3mほどの巨岩もあるが、それらのほとんどが大きく亀裂を持ち割れている。鋭い部分では皮膜が確認できなかった。しかし、岩の上の方は黒く変色しており、そこでは2〜4mmの皮膜が測定できた。皮膜がある部分とない部分では外観からして明らかに様相が異なり、同じ岩塊の中で区別できるほどであった。柱状節理のような岩塊も、皮膜を観察できた(写真7)。一見新鮮な地形に見えたが、元々あった岩塊が割れたらしく、元々あった岩塊の部分で皮膜を測ると、山頂や三角点で測定した皮膜の厚さと同等になった。一方、山頂と三角点の2地点では、点在している岩石は角が取れていて新鮮な印象は受けなく、また、風化皮膜も平均的に観察された(写真8、9)。皮膜の厚さは合計55個の礫を測定し、その平均値は3.92mmであった(表4)。

3)風化皮膜から推定した富士山溶岩ドームの形成年代

 奥野ら(1997)は放射性炭素年代の手法を用いて、富士山溶岩ドームは6500年前に形成されたとしている。しかし本研究では、もっと古い山体なのではないかと疑う結果にいたった。

 富士山溶岩ドームは地形的にはっきりと溶岩ドームとわかるように、榛名二ツ岳と酷似している。斜面には岩塊がいたるところに点在し、山頂部は少し平坦な地形を残している。そこまでは二ツ岳とおなじなのであるが、点在している岩塊が明らかに風化を受けていて角が取れ丸みを帯びていた(写真4)。1400年前の榛名山二ツ岳は、ごく最近であるが、仮に6500年前に高原山富士山溶岩ドームが噴火したとしても、風化の進みが速いように思われる。そこで風化皮膜を測定すると、平均値で3.92mm と厚い結果を得た。これは、表2から考えると、少なくとも2万年以上であることがいえる。

 しかし、山頂付近に新鮮な溶岩地形を残す地点があった(写真5、6)。山頂南のピークであるが、第1回目の調査ではそこで測定を行わなかったため、第2回の調査では、測定地を3つに分けて風化皮膜を測定した。第1回の調査では山頂周辺のみを測定地としていた。地点1「三角点」、地点2「山頂南と三角点の間の地溝部」は、特に地形的にほかと異なるところはなかったが、皮膜もそれぞれ4.0、2.9と第1回調査に比べ数値的に小さい値を示した。一方、新鮮な地形を残す山頂南では、皮膜が全体的に存在しており平均で3.0を示した。やはり第1回目調査より値は小さいが、サンプル数が各10と少なかったため、誤差が生じているのかもしれない。

 山頂南の割れた岩塊などの新鮮な地形から皮膜が3.0mmと値が出たことにより、ここの地形はもともと古くからあったものが、何らかの原因で崩落して新たな岩塊を生じているものであるのではないかと考えられる。割れた新鮮な面からは皮膜が1〜2mmと薄くでるが、風化された面で測定すると4mm以上である。このことも値を小さくしている原因であろう。第1回目の調査地である山頂周辺は割れている岩塊は見あたらなかったため、薄い皮膜をもった岩塊が少なかった。

 また、山頂南のこのピークから50mほど下りた南斜面(地点4)には1m四方の岩塊だけの斜面が存在する。ここは、高木が生えておらず、土壌の堆積が見られない。また、この斜面の末端には3m四方の崩落したと見られる巨大な岩塊が平坦面で止まっている。これらの崩落したと見られる岩塊の風化皮膜を測ってみたところ、割れた面では皮膜が1〜2mmであったのに対して、割れていなく風化されている面を測ったら平均してやはり4mm以上の値が出てきた。このことから、富士山に存在していた溶岩塊は皮膜がもともとは4mm以上のものが多かったのではないだろうか。そして、このことからも少なくとも2万年よりは前に富士山が形成されていたのではないかと言えそうである。また、今から数千年前におこった山頂南のピークとして存在していた岩盤の崩落によって、現在のような山頂部のみ鋭く尖った岩を残し、斜面には崩落のあとを残す地形になったのではないかと考えられる。

7、今後の課題

 風化皮膜を用いて火山の形成史を考えていく方法は、誤差が大きくなるため細かく年代を特定することが困難であった。これは、個々の溶岩ドームの気候、標高、植被、岩種などが異なるため、岩石の風化の度合いも一様ではないことからであろう。しかし、溶岩ドームに限って言えば、デイサイト質溶岩に近い似通った溶岩であるので大きな差異はないと思われる。風化皮膜を用いるに当たっては、それらの環境の違いを考慮に入れ、また不明瞭な皮膜の測定の仕方などから値が変わってくることを考えることが必要となってくる。

 しかし風化皮膜から推定する年代決定の方法は、おおざっぱな数値であっても、ある山と比べたりして相対的に年代を特定することは可能である。テフロクロノロジーや放射性炭素法という絶対年代を決定する方法と組み合わせたり、あるいはそれらを確かめたりする、一助的な手段として使うことも有効であるかもしれない。

8、まとめ 

 高原火山富士山溶岩ドームは、数値的に皮膜が厚く、2万年前以前に形成されたという結論を得た。また、山頂に見られる角張った岩石の多い地形は、数千年前に山頂部の岩盤が崩落してできた地形であろうと推測される。形成年代は上ノ原溶岩が富士山の下にあることから30万年より前ではないことが言えるが、2万年から30万年前までの間としか結論づけられなかった。しかし、完新世に噴火したとされている富士山にとって、2万年よりあるいは10万年以上前に古いという可能性が出てきたことは、テフロクロノロジーや放射性炭素法などの絶対年代法と組合せ、富士山の形成期について再考する必要が生じていることを示していることになる。

 風化皮膜を用いた方法は、相対年代法としては確実性のある手法だといわれているが(渡辺1990)、絶対年代の特定できる放射性炭素年代法やテフロクロノロジーなど組み合わせて、相互の補い合いによって、より確実な年代特定ができるのではないだろうか。

謝辞 

 本研究をすすめるにあたり、早川由紀夫助教授をはじめ地学教室の吉川教授、岩崎助教授には多大な助言、ご指導をいただいた。教育学部理科の真下君、中嶋田さん、新井君、金井君をはじめ多くの方々に現地調査に同行してもらった。以上の方々に、心からお礼を申し上げる。

引用文献


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