4、調査結果

 12調査地において測定した風化皮膜のヒストグラムを表2に示した。各調査地についての概略と調査結果を述べる(表2)。

・蓼科山

 蓼科山は標高2530mの長野県中部に位置する更新世火山である。形成年代はおよそ30万年前といわれている(早川1998)。角閃石輝石ガラス質安山岩からなる溶岩ドームで、山頂部に植被はほとんどなく、50cmから1m四方の岩石に覆いつくされている。山頂は約100m四方の平坦地になっており、中心部は窪地状に窪んでいる。岩石はどれも黒く、地衣類がついている。角が取れて丸くなっている岩石が多く、かなり風化されている様子がうかがえる(写真1)。

 風化皮膜はどの岩石にも必ず現れた。皮膜は白から褐色で、かなり明瞭で厚い皮膜が観察された。また、岩石の中には原岩から剥離したと思われる面が確認できた礫もあった。剥離面の皮膜だけ他の面に比べて明らかに皮膜が薄く、また角が取れていなかった。風化皮膜の平均値は4.76mmで調査地中もっとも厚かった。 図2 蓼科山 (5万分の1地形図「蓼科山」)

・赤城地蔵岳

 標高1674mの赤城地蔵岳は、赤城山山頂火口内にある比高230m、底径1500mの溶岩ドームである。3万3000年前の鹿沼軽石を噴出した噴火のあとに形成された。およそ24000年前の出来事である(早川1998)。角閃石デイサイト質の溶岩である。山頂付近は低木類が覆っているが、裸地では白色をした岩石が露出している。土壌が発達していて、その上に転石が転がっている程度であった。赤みを帯びている岩石も多く、風化しているものほど白いものが多いように思われた。コケ類はほとんどついていなく、角はとれている。

 風化皮膜はあまりはっきりしなかったが、厚めにでていた。皮膜が不明瞭なため値を大きめに測ってしまった可能性がある。皮膜の色は白、中は赤い色をしていて、風化すればするほど岩石の表面は白くなっていくようだった。また、水の流入が多い沢では、多くの石が真っ白く、風化皮膜も山頂に比べ数段厚く観察された。このことは、風化皮膜が水によって風化が促されることと、山体の下部ほど、転石や様々な影響で風化が早く進んでしまうことを示していると思う。風化皮膜の厚さは4.48mmであった。図3 赤城地蔵岳 (2万5千分の1地形図「赤城山」)

・村上山

 群馬県嬬恋村の鹿沢ハイランドスキー場の南東方向に2つのこんもりとした山がある。手前が村上山で、奥が桟敷山である。これらの山は浅間の西方に位置する篭ノ登山、湯ノ丸山、烏帽子岳の一連の火山列の一部である。35万年ほど前にできたとされる湯ノ丸山から考えて、村上山、桟敷山は30万年前にできたようである(早川1998)。輝石安山岩からなるこの溶岩ドームは、比高250m、底径1800mで、山頂まで木々が生い茂っている。山頂部は2つのピークがあり、鞍部はクマザサで覆われており、岩石の露出はまったくなかった。ただ、山頂は下草があまりなく、岩石はいくつか露出していたが、土壌が発達していたため半地中状態の礫がほとんどであった。

 皮膜がはっきりしない礫が多かった。岩質がしっかりしていてマッシブなものほど皮膜がはっきりしていたため、腐植が進んでいたものが多かったのかもしれない。土壌に埋もれて多くの水分の供給を受けていたものは、水の浸透が中まで達しているものもあり、そのようなもろい岩石は測定から除外した。また、コケに覆われているものほど皮膜が厚くなることを確認した。皮膜の厚さは4.00mmであった。図4 村上山 (5万分の1地形図「上田」)

・桟敷山

 村上山の南に位置し、標高は1915mである。こちらも輝石安山岩からなる溶岩ドームで、比高350m、底径1500mの比較的急峻な山である。山頂部には平坦な鞍部があり、村上山と同じようにクマザサが生い茂り岩石の露出はほとんどなかった。山頂部では転石も見あたらず、風化皮膜の山頂での測定は行えなかった。ただ、登山道途中の標高1800m付近に巨岩が露出している部分がかなりあったため、そこで測定を行った。

 岩石は全体的に灰色から黒で地衣類に覆われているものは少なかった。割ってみると皮膜ははっきりしないが、不明瞭ながら厚く確認できた。岩石は角が取れているものが多いが、崖状の地形のため、崩落の痕跡も見あたった。皮膜の厚さは3.48mmであった。図5 桟敷山 (5万分の1地形図「上田」)

・榛名相馬山

 榛名相馬山は前橋市から見て榛名山の中でももっとも高く、もっとも鋭く見える山である。標高は榛名山の中での最高峰ではないが1411mである。山体は北半分が崩落したため300mの崖になっていて、典型的な溶岩ドームとは様相がことなる。今からおよそ21000年前、榛名火山の山頂火口東側に出現した相馬山溶岩ドームはまだ熱いうちに崩れて、南東方向に陣馬岩なだれを形成し、相馬ヶ原の平坦面を形成した(早川1998)。デイサイト質溶岩のこの溶岩ドームは比高200m、底径500mほどで、北と南が崖で切りとられた地形をしている。崖のような地形のため、登山道ははしごを必要とする急登で岩石もいたるところで露出していた。

 風化皮膜を測定した岩石は、地衣類が多く付着していた。岩石表面は風化が進んでいるらしく角が取れたようになっていた。なかには厚い皮膜を呈したものもあり、比較的風化が進んでいると感じられた。皮膜の厚さは3.20mmであった。図6 榛名相馬山 (2万5千分の1地形図「伊香保」)

・榛名水沢山

 渋川市から伊香保に向かっていくと、真っ正面に見えてくる山が水沢山である。標高は1194m、比高400m、底径2000mの溶岩ドームである。およそ1万年前に形成されたが、これと同時のテフラは見つかっていないという(早川1998)。山頂部は尾根状の地形で平坦面はまったくない。尾根は東西方向にのびている。植被は山頂部までほとんど覆われていた。デイサイト質の溶岩であるが、岩質が粗く、斑晶がぼろぼろ落ちるような岩石もあった。

 皮膜ははっきりしたものが少なかった。また、まったくないものも存在した。角が取れている岩もあれば、角が取れていないものも確認できた。角が取れていないと認識できた山は、榛名では水沢山と二ツ岳である。岩質的にもろいものが多いのか、皮膜が不明瞭になって、数値的に厚いものが多くなったのかもしれない。皮膜の厚さは2.90mmであった。図7 榛名水沢山 (2万5千分の1地形図「伊香保」)


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