「高原火山は完新世に噴火したか」原稿の経歴

  1. 「火山」寄書No.9825として受け付けられた.編集担当は奥野充氏の予定.(本郷10 98.6.5.8-12消印はがき)
  2. 編集担当者が都合により山元孝広氏に変更になった.(本郷10 98.6.8.12-18消印はがき)
  3. 「原稿の内容が寄書にはそぐわない」から「火山」には掲載できないと電子メールで連絡あり.(98.6.22.1315)
  4. 原稿が私に返送されてきた.(筑波学園10 6.23消印速達)
  5. 山形大学で開かれた1998年度日本火山学会秋季大会で,「火山」の投稿規定に討論が加えられた.
  6. 内容にまったく手を加えず,討論として再投稿(98.10.16)
  7. 編集担当の山元氏から「討論として取り上げますので,早速,原著者の奥野さんに回答を求めます.」とメールあり.(98.10.23.1811)
  8. 二人の査読者のコメント(その1その2)とともに山元編集委員からの意見が速達で届く.このまま印刷するつもりだから原稿のフロッピーを送れという.(99.1.19)
  9. フロッピーディスクを郵送した.(99.1.20)
  10. 1999年2月1日付けで受理された.44巻2号に掲載予定.(本郷11 99.2.6.8-12消印はがき)
  11. 1999年3月,私の原稿のみの校正依頼があった.修正の必要がないことを電子メールで連絡した.
  12. 1999年4月30日.印刷された44巻2号が郵便で届く.私の原稿は「討論」として,奥野氏ほかの原稿は「回答」として掲載されている.


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