富士山

玄武岩からなる巨大な火山,富士山はおよそ10万年前に誕生した.関東ローム層の中で,御岳第一軽石の層位付近から上には富士山起源のスコリアやカンラン石結晶が多量に含まれるが,それより下にはほとんど含まれていないという事実からそれを知ることができる.誕生以降,富士山はスコリアを降下させる爆発的な噴火と溶岩を流出する穏やかな噴火を繰り返した.2万年前ころを最盛期とする最後の氷期には山頂部に氷河があったらしく,噴火によって発生したと考えられる大規模なラハールが相模川を何度も下っている(富士相模川泥流).このラハールが高温だった証拠は,たとえば,都留市金井で見られる堆積物のなかに水の沸騰で生じたと思われるガスパイプの痕跡が多数認められることである.氷期が終わった1万年前までに,富士山は現在とほぼ同じ姿をした円錐形の大火山体になった.

1万年前から5000年前まで,スコリアを降らせるような噴火はほとんどなく,山頂火口と山腹割れ目火口から薄い溶岩を多量に流出した.このとき山麓には富士黒土層が堆積した.5000年前からふたたびスコリア噴火が頻発するようになり,3700年前に仙石スコリア(M4.7),3140年前に大沢スコリア(M4.9),2800年前に大室スコリア(M4.7),2700年前に砂沢スコリア(M5.0)と大噴火がつづいた.2400年前には,南東山腹が薄く広く崩れて御殿場岩なだれが発生した.現在の御殿場市はこの岩なだれ堆積物の上にある.宮地(1988)によると,山頂火口から起こった最後の大爆発は,2000年前に起こった湯船第二スコリア(M4)の噴火であるという.

歴史時代の富士山の噴火は9世紀の二度の噴火と1707年の噴火が有名である.これ以外にも小噴火があったらしいが,それらについての詳しいことはわかっていない.800年4月の噴火は,「砕石が道をふさいだため,足柄路を廃して箱根路を開いた」とする古記録でよく知られている.砕石とはスコリアのことだろうが,これに該当すると思われるスコリア堆積物は北西麓の天神山スコリア丘(M2.2)以外みあたらない.もし天神山スコリアであれば,当時の足柄路は富士山の北を回っていたことになる(小山,1994).864年6月には,長尾山から青木ケ原溶岩(M4.4)が北へ流れ出し,「せの海」を分断して精進湖と西湖をつくった.北東山腹割れ目から流出して富士吉田市に達している剣丸尾溶岩(M3.8)の直下に10世紀初頭の古銭や陶器がみつかっているから,この溶岩は10世紀に流れたらしい(上杉ほか,1987).忍野に流入している鷹丸尾溶岩(M3.6)も新鮮な地形を保持しているから新しいそうだ.

1707年12月16日朝に南東山腹で起こった噴火(M5.2)は,成層圏に達する高いプリニー式噴煙柱からまず軽石を降らせ,つづいて多量のスコリアを降らせた.スコリア/軽石の分布軸はほぼ東西に走り,川崎市に5cmの厚さで堆積している.この噴火は,7万8000年前に起こった吉岡スコリア(M5.4)についで,富士山の噴火史上二番目に大きい噴火だった.

富士山で起こった火山災害で確実なものは,以下にあげる三回の噴火によるものだけである:1)800年4月のスコリア噴火(M2.2)で足柄路が埋没した.2)864年6月,長尾山から青木ケ原溶岩(M4.4)が流出した.3)1707年12月16日から始まった宝永噴火(M5.2)で須走ふきんの田畑が埋没した. 


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