1.六里ヶ原

鎌原熱雲の中の巨大岩塊

鎌原いわなだれの堆積物(赤川土取り場)

鎌原村で犠牲になった477人は,すべて戒名がいまに伝わっている(『鎌原村流死人戒名帳』萩原史料5-325).この石段を駆け上がった93人だけが助かった.右の写真は,石段に足をかけた瞬間に熱泥流に襲われた女性二人の遺体である.1979年に発見された.



(天明五年)巳九月,引き湯して大笹宿内に温泉場をつくった.

「天明三卯年七月八日浅間山焼之節浅間腰押出シへ温泉湧出候ニ付翌辰年之正月御役所へ御願申上宿内へ引湯之積リ...」「一,湯小屋ニてたばこ吸うべからず.惣てくわいきせる致間敷事」(『大笹湯開業に付申合せ結果申報書』;萩原史料5-206)