高崎市中島町と前橋市下川町で,利根川両岸に露出する前橋いわなだれ堆積物

浅間山は2万4000年前に大きく崩壊して,吾妻川(利根川の上流にあたる)と千曲川(信濃川の上流)に流れ込んだ.関東平野の北西端にある前橋市と高崎市の市街地のかなりの面積が,その岩なだれ堆積物の表面に展開している.それは,完新世に河川に何度も洗われた周囲の低地より数メートル高い段をなし,前橋台地と呼ばれる.前橋台地を切り刻んで流れる現在の利根川の流路が固定されたことには,たぶんに人為的要因によるところが多いだろう.自然ほんらいの利根川の位置は広瀬川-桃木川がつくる低地および井野川である.

高崎市中島町と前橋市下川町が狭い河川敷を挟んで向かい合った河原には,前橋いわなだれ堆積物の断面がよく露出する.さまざまな大きさの礫と砂が,泥の基質の中に点在しているが,全体的には無層理無構造である.

このように直径4メートルに達する未固結堆積物(おそらく非溶結の火砕流堆積物)のブロックも含まれている.

柔らかい湖成シルト層も含まれている.嬬恋村応桑ふきんから運ばれてきたものだろう.

樹木もたくさん含まれている.岩なだれが流路の山麓の森林を破壊したのだろう.樹木はまったく炭化していなく,高温状態に置かれた証拠をもたない.

降下軽石堆積物のブロックもみつかる.山体崩壊の数百〜数千年前に噴火した板鼻褐色軽石群のどれかだろう.その粒径からみて,北軽井沢ふきんの山麓に堆積していたものにちがいない.堆積物としての構造は残っているが,表面から摩耗して小さな球形になっているのがおもしろい.

吾妻川あるいは利根川の河床にあったと思われる円礫もふくまれている.

堆積物中には三次元の網目状をした複雑な空間が残されている.その空間はなんらかの作用で汚染されたらしい.表面が赤く変色している.