岩神の飛石 浅間山が崩壊し流れ着く

 

前橋市北部にある岩神の飛石(とびいし)は、周囲の平坦な地表から10メートルも高く突出した大きな火山岩です。その鮮やかな赤色のために、稲荷としてまつられています。この岩は、マグマのしぶきが火口の周囲に積み重なってできたものです。そのような岩は火山の火口のすぐ近くにしかできません。では、むかし岩神に火山があったのでしょうか?

 いいえ、そうではありません。飛石と同じ岩は、吾妻川沿いにたくさんみつかります。そのなかでも中之条町の国道145号脇にある「とうけえし」が一番立派です。小野上村村上の畑の中や吾妻町岩井田中の吾妻川河床にも大きなものがあります。

 いまから2万4000年前、浅間山がまるごと崩れました。崩壊した大量の土砂は北に向かって流れて吾妻川に入り、渋川で利根川に合流し、関東平野に出て、そこに厚さ10メートルの堆積層をつくりました。岩神の飛石は、この崩壊土砂のひとつとして浅間山から前橋まで流れてきたものです。

飛石になった岩は浅間山の心棒をつくっていた硬い部分だったから、大きいまま前橋にたどり着きました。その後、利根川の水流によって、飛石の周囲にあった小さな石は運び去られましたが、飛石は大きすぎたのでこの場に残りました。高崎市の烏川河床にある聖石(ひじりいし)も同じものです。つまり前橋市と高崎市は、浅間山の崩壊土砂がつくった台地の上に形成された都市なのです。

浅間山のような大円錐火山が崩壊することはめずらしいことではありません。むしろ大円錐火山にとって、崩壊することは避けられない宿命のようなものです。ゆっくりと隆起してできる普通の山とちがって、火山は突貫工事で急速に高くなりますから、とても不安定です。大きな地震に揺すられたり、あるいは地下から上昇してきたマグマに押されたりして、一気に崩れます。

2万4000年前の浅間山崩壊で発生した土砂の流れは、北側の群馬県だけでなく、南側の長野県にも向かいました。佐久市には、まさに赤岩という地名があって、岩神の飛石と同じ赤い岩が弁財天としてまつられています。また、塚原という地名もあって、田んぼの中に小さな丘が点在しています。それらは、浅間山の崩壊土砂がつくった流れ山です。そこにも赤い岩がたくさんみつかります。

浅間山の崩壊土砂がつくった土地の上にはいま、群馬県で50万人、長野県で10万人が住んでいます。私たちはこのことをどう考えればよいのでしょうか。答えは、簡単にはみつかりそうもありません。いろいろな角度から研究を進める必要がありそうです。

(早川由紀夫)

 

上毛新聞に2003年9月4日に掲載された群大だより65教育学部を,わずかに書き換えた.

 

岩神の飛石。稲荷としてまつられたこの大きな赤い岩は、2万4000年前の浅間山大崩壊でここまで流れてきた。