京都百年紀:「源氏千年」に寄せて/1 辺境の異変に揺れた朝廷 /京都
 ◇900年前 浅間山の大噴火、武士の台頭も

 今からちょうど900年前の1108年、北関東一帯を大きな災害が襲った。浅間山(標高2568メートル)の大噴火。直線距離で約300キロの京都では、白河上皇の院政が最盛期を迎えていたころだ。大災害はどのように京へ伝わり、朝廷はどう対処したのだろうか。

 「続古今和歌集」などに名を残す右大臣藤原宗忠(1062〜1141)の日記「中右記」の写本が陽明文庫や宮内庁書陵部に所蔵されている。9月5日の書き込みには、朝廷に上野国司から浅間山の噴火を伝える文書が届いた、とある。その内容は−−。

 「40年ほど前に噴煙を吹き始めた浅間山が7月21日になって突然噴火し、火は峰を焼き、煙は天高く舞い上がり、火山灰が上野国中に降り注いだ。田畑はほとんど壊滅した。このようなことはかつて経験したことがない」

 浅間山を研究している早川由紀夫・群馬大教授によると、この噴火は浅間山では過去1万年で最大、日本列島でも1000年で十指に入る規模。数十キロ離れた前橋や高崎でも軽石が10センチも積もり、田畑に甚大な被害が出たという。

 早川教授は「宮中の渡り廊下で10月31日『軒廊御卜(こんろうみうら)』という占いが行われた」と朝廷の対応にも言及。「改元には至っていないので『凶』ではなかったのだろうが、辺境の災害にこうした対応をしたことは、噴火の規模の大きさを示している」と話している。

 一方、朝廷の屋台骨を根本から揺るがすような事件はおひざ元でも起きていた。「中右記」などによると、平正盛が1月29日、出雲で反乱を起こした源義親を破って帰京、義親の首をさらした。正盛らの意気揚々とした行進に、京中の道は興奮した見物人であふれかえったという。鎌倉幕府の成立まで80年あまり。武士の時代の足音が京都でも高まっていた。

 なお、浅間山は今も盛んに噴煙を上げる活火山。最近では04年9月にも中規模の噴火をしている。=つづく【谷田朋美】

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 「源氏物語千年紀」に合わせ、源氏物語が宮中で読まれていた1008年と今年(2008年)の間、100年ごとの節目に注目。「その年」の出来事を中心に京都をひもとく。

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 ◆1108年前後のできごと

1053年 藤原頼通が平等院鳳凰堂を建立

1086年 白河上皇の院政が開始

1156年 保元の乱が起こる

1159年 平治の乱が起こる

1175年 法然が浄土宗を開く

1192年 源頼朝が鎌倉幕府を開く

毎日新聞 2008年1月3日