浅間山麓に火山文化を

早川由紀夫

 

 


問い 昨年9月1日の噴火は20時すぎに起こりました。ペンションではちょうど夕食が終わったばかりの時間でした。とても大きな爆発音がしたし、真っ赤な溶岩が飛び散る場面がテレビニュースで繰り返し放送されました。宿泊を急遽取りやめて、東京に帰ったお客も多かったと聞きます。「この先どうなるかわからないから、どうぞお帰りください」とお客に告げたペンションもあったそうです。

 このことを、どう考えますか?

 

答え あの晩、宿泊をとりやめて帰宅する必要はまったくありませんでした。あの爆発は、20世紀に浅間山で何千回も起こったブルカノ式爆発とまったく同じでした。そうであることを、火山学の専門家は、テレビ画面を一瞥しただけで理解できました。翌日からの現地調査は、それを確認するための作業にすぎませんでした。噴火の大きさを計測するために調査したにすぎませんでした。いったいどんな噴火が起こったのだろうかと疑問を抱いて調査したのではありません。

20世紀には、12回のブルカノ式爆発で放出された火山弾に打たれて30余名の登山者が絶命しました。しかし、居住地域での人的被害は皆無でした。割れやすかった昔の窓ガラスが割れることはありましたが、それ以外には物的損害もありませんでした。

宿泊当日に浅間山の爆発に遭遇できたなら、これ幸いと、噴火見物してほしいものだと私は思います。浅間山がブルカノ式爆発を繰り返している限りにおいて、いま浅間北麓は、火山噴火を間近で安全に体験できる希有な場所です。

浅間山を知らないから怖いのです。正体のわからないものは、底なしに怖い。1973年を最後に昨年9月1日まで、浅間山では30年以上も「まともな」噴火がありませんでした。その間に、地元の噴火体験はことごとく風化してしまいました。怖ければ、それに触れたくない、触れてもらいたくないのが人情です。いきおい、昨年の噴火の記憶を一刻も早く消し去りたいと念じることになります。

しかしそのような消極的な態度では、浅間山麓の観光に光が射すのがいつになるかわかりません。浅間山麓に住むすべての人は、火山としての浅間山をよく知り、親しんで、浅間山がつくったこの美しい大地の上で生かされている事実に気づくべきです。そして、その幸福を噛みしめるべきです。

そういう気持ちが獲得できれば、毎夜、浅間山頂にあらわれる火映の神々しさに導かれて、この地域に特有の火山文化が形成されると、私は思います。その文化風土のなかでは、観光業も農業もおのずと健全な発展を遂げるでしょう。

 

2005年4月25日、第4回明るく楽しい浅間山学習会で配布した資料から)