小学校と中学校における火山授業の実施報告:

2001-2003年度

 

早川由紀夫・堀真季子

 

群馬大学教育学部理科教育講座

2003年 月 日受理)

 

2001年10月から、前橋市および近郊の小中学校に出かけて授業することを始めている。それは、次のきっかけから始まった。2001年の夏、井野節子・前橋市立桃瀬小学校教諭から突然のメールが早川に届いた。早川のホームページ「かざんきっず」http://www.edu.gunma-u.ac.jp/

~hayakawa/kazankids/ を見たという。そのページは,つぎのような趣旨のページである:「小学生のための火山見学ガイド たくさんの小学生が火山を訪れて、昔の大噴火の痕跡をみたり、温泉に入ったり、森のおいしい空気をいっぱい吸ってくれることを願ってつくりました。」そこには,「あさま山のふんか」「草津おんせんと本白根山ハイキング」「草津白根山の湯がま」からなる3つのガイドが置いてある(この内容は本誌20号に掲載ずみ)。そして最後に、「小学校の先生へ、30人ていどの子どもたちに現地で直接説明することができます。日程などの相談に応じます。もちろん無料です。連絡ください。」と書き添えてあった。井野教諭のメールには、10月に6年生が浅間山へバス見学に行くので、現地で案内してほしい旨の要請が書いてあった。

 こうして、桃瀬小学校とのつきあいが始まった。この秋も3度目の浅間山現地見学を案内した。このほかにも、学校教諭になっている卒業生に「わたしに授業をやらせてほしい」と頼み込んで、今年3月に利根村立利根中学校と前橋市立春日中学校で出張授業をした。

学校にでかける前には、身近な学生に声をかけ、同行希望を募ることにしている。その目的は4つある:

1)  将来学校教諭になることを希望する学生に経験を積ませるため

2)  とくに野外見学のとき、説明の補助と児童の安全確保をしてもらうため

3)  授業の内容を書き留めるため

4)  児童生徒の反応を観察するため

2001-2002年度は予算処置がなく手弁当だったが、2003年度からは文部科学研究費重点領域「理数科系教育」から経費を支出することができている。

以下の記録は、同行した2003年度4年次学生(堀)が指導教授(早川)に提出したレポートに、早川が手を入れて可読な文章にしたものである。大学生がこのような試みをどのように理解するかを知るための材料にもなるので、堀が提出したレポートの内容と構成をできるだけ生かすようにした。ただし、早川の意見を加筆した部分もある。

 

1 出張授業と現地案内の記録

 

 

年月日

内容

児童生徒

同行学生

2001/10/31

浅間山の現地案内

桃瀬小6年85人

川路美沙、奥山美樹

2001/11/8

授業「現地見学の復習」

桃瀬小6年85人

川路美沙、奥山美樹

2001/11/9

吾妻川の現地案内

中郷小6年40人

川路美沙、中嶋田絵美、坪井保智

2001/11/27

児童による調べ学習ポスター発表会

桃瀬小6年80人

川路美沙

2002/10/18

児童との顔合わせ

桃瀬小6年75人

川路美沙、堀真季子

2002/10/29

浅間山の現地案内

桃瀬小6年75人

川路美沙、堀真季子

2002/11/19

授業「現地見学の復習」

桃瀬小6年1組38人

川路美沙、堀真季子

2002/11/19

授業「現地見学の復習」

桃瀬小6年2組37人

川路美沙、堀真季子

2003/3/14

授業見学と打合せ

利根中1年41人

堀真季子

2003/3/18

授業「前橋市をつくる大地の成り立ち」

春日中1年1組34人

堀真季子

2003/3/18

授業「前橋市をつくる大地の成り立ち」

春日中1年2組34人

堀真季子

2003/3/18

授業「前橋市をつくる大地の成り立ち」

春日中1年3組33人

堀真季子

2003/3/25

授業「火砕流には勝てない」

利根中1年41人

堀真季子

2003/3/25

授業「群馬の山と川」

利根中1年41人

堀真季子

2003/10/3

授業「溶岩流と火砕流」

桃瀬小6年1組36人

堀真季子

2003/10/3

授業「溶岩流と火砕流」

桃瀬小6年2組35人

堀真季子

2003/10/7

浅間山の現地案内

桃瀬小6年71人

堀真季子、浦野智香子

2003/10/8

授業「浅間山がつくった前橋の大地」

桃瀬小6年1組36人

堀真季子

2003/10/8

授業「浅間山がつくった前橋の大地」

桃瀬小6年2組35人

堀真季子

 

 

2001年10-11月 桃瀬小6年(3日)

 

野外見学と、そのあとに2回、学校を訪問した。井野教諭と日向聡教諭とは、群馬大学での打ち合わせのときに対面してあったが、児童たちと会うのは野外見学の日が初めてだった。だから子どもたちの緊張がほぐれるまでに、時間がかかった。事前に小学校を訪問して、知り合いになっておいたほうがよいようだ。

 

10月31日 浅間山へ野外見学

暖かい秋晴れの日で、浅間の山麓は紅葉の盛りだった。このすばらしい天気は、この野外見学が児童たちの記憶に深く刻み込まれるであろうと信じるに十分だった。

早川と同行学生は乗用車に乗り、上信越道の横川サービスエリアで児童が乗ったバスと合流した。まず馬取で浅間山を展望したのち、六里ヶ原に向かった。昼食後、鬼押出し溶岩を見学して前橋に戻り、県庁脇の崖を観察した。現地での詳しい観察内容は、その後おこなった2002年と2003年の項に書く。ただし馬取での浅間山展望は、浅間山での滞在時間を節約するために以後割愛して再び訪れることはなかった。

桃瀬小学校は「かざんきっず」を材料につかったしおりを作成して、児童に配布してあった。

 

1 馬取で浅間山のかたちをスケッチする桃瀬小6年生。

2 六里ヶ原の崖を観察する桃瀬小6年生。

 

 

11月8日 野外見学の復習

 桃瀬小を訪問して、野外見学の復習授業をした。

 

11月27日 ポスター発表会

桃瀬小は、2000-2001年度の前橋市小学校教科別研究(理科)だった。このまとめとして、公開授業が行われたので、それを見学した。火山または地震をテーマとした調べ学習のポスター発表会だった。

 

2001年11月 中郷小6年(1日)

 

11月9日 吾妻川の野外見学

早川のホームページをみた子持村立中郷小学校教諭からメールで質問が来た。吾妻川の河床に露出する地層の成因と年代を尋ねるものだった。よく聞くと、徒歩による小学校6年生の現地見学だという。急遽、現地で落ち合うことにした。

 事前準備がなく児童だけでなく教諭とも初対面であったことと、目的地の地層が観察対象としてあまり適切ではなかったため、教育効果が薄かったようだ。地層の観察を学校の近くでしなければならない束縛があるときに、教育効果をあげるのはむずかしい。

この日の接触は学校長の許可を得てない非公式なものだった。

 

2002年10-11月 桃瀬小6年(3日)

 

事前訪問、野外見学、事後訪問と、児童と3回顔をあわせた。6年生の担任は、矢嶌みどり教諭と石井崇教諭。

 

10月18日 児童との顔合わせ

昨年の経験から、野外見学の前に児童と顔合わせしておいたほうが、スムーズだと考えた。桃瀬小学校が、「木の部屋」という多目的ルームで、1組2組合同の授業を設定してくれた。

 児童に自由な質問をさせて、それに答える形式とした。最初は同行学生(川路美沙)が答え、後半は、早川が浅間山の話を交えて答えた。

 

10月29日 浅間山へ野外見学

 同行学生は、桃瀬小学校から児童とともにバスで出発した。早川は六里ヶ原駐車場で合流した。

08:00 桃瀬小学校出発

10:00 六里ヶ原(駐車場から浅間山のスケッチ、片蓋川で地層の観察)

・火山性堆積物とその他の堆積物の違い

・地層の年代

・どこから流れてきたか

・試料の採取方法

・地層のスケッチの仕方

・火砕流の特徴

12:20 鬼押出し園(溶岩のスケッチ、記念撮影)

・溶岩の特徴

・どうしてこのような地形になるのか

・流れてくる速さ

15:00 県庁裏の崖(前橋をつくっている地層の観察)

・前橋の大地の下には何があるか

・それはどこからきたか

・どうやってここまで運ばれてきたのか

・これと同じ地層が他の場所にあるか

16:00 桃瀬小学校到着

 

11月19日 野外見学の復習

 2クラスそれぞれで、1時間の授業をした。浅間山の野外見学を復習したあと、浅間山や雲仙岳の噴火について説明した。

 

2003年3月 利根中1年(2日)

 

連絡窓口は佐藤成夫教諭(群馬大学教育学部1998年3月卒)。訪問は事前1回と授業日1回の合計2回。 2クラス合同で、2時間の授業をした。

 

3月14日 佐藤教諭の理科授業見学と生徒との顔合わせ

佐藤教諭の理科授業を見学した。授業題目は「噴火で空から降ってくるもの」。理科室でパワーポイントファイルを投影しつつ説明する。生徒がそれを見てワークシートに記入するスタイルだった。

ワークシートの内容(生徒が書き込むべき内容)

     スコリア(発泡した黒色の石)

     軽石(発泡した白色の石)

     火山灰(2o以下の細粒物)

     火砕流堆積物(高温で火山灰・火山ガス・軽石が高速で地面を流れる現象。「火砕流」によって堆積したもの。固まると溶結凝灰岩になる。)

     火山ガス(主に水蒸気を成分としていて硫化物などを含む)

     溶岩(マグマが地面に現れたもの。主に三種類ある。玄武岩、安山岩、流紋岩)

 

3月25日5時間目 利根中1年AB組合同「火砕流には勝てない」

2クラス合わせて41人だったので、生徒全員を理科室に集めて合同で授業した。

     雲仙岳火砕流のビデオ

     火砕流に飲み込まれた人の写真とビデオ

     夜の火砕流の赤外線ビデオ

     モンセラート火砕流のビデオ(火砕流は海上を走る。火砕流は音がしない)

生徒たちは「藤崎カメラマンすげーよ」などと言いながらスクリーンに釘づけだった。「火砕流で卵が焼ける?」との声も聞こえた。

まとめのスライド

     火砕流は音もなく忍び寄る

     火砕流は自動車より速い

     火砕流はてんぷら油より熱い

     火砕流は物を吹き飛ばす

     火砕流の発生時刻は予知できない

火砕流に会いたくない人は:

火砕流が発生しそうなときは、そばに近づかない。

佐藤教諭の授業をまねて、このスライドを生徒に書き取らせた。

 

 3月25日6時間目 利根中1年AB組合同「群馬の山と川」

2回目の授業は、問題を出して生徒たちに考えさせた。まず、山には二種類あることを次のスライドで指摘した。

山には、火山と普通の山があります。火山は噴火して高くなります。

群馬県の火山をいくつか例示したあと、次の質問スライドを投影した。

榛名山で起こった6世紀の噴火では、利根村にも軽石が降りました。

 

問題 そのとき利根村に降り積もった軽石の厚さはどれくらいだったでしょうか?

答え1 mくらい、30 cmくらい、10 cmくらい)

次に普通の山の話題に移る。

それでは、(普通の)山はなぜ高いのでしょう?

山は、むかし高くなったから高いのではありません。もしそうだったとしたら、その後の長い時間に川ですっかり浸食されて、いまは平らになってしまっているはずです。山が高いのは、いまでも高くなっているからです。山が高くなることを隆起と言います。高い山ほど、隆起速度が大きいと考えてよいです。

利根中学がある片品川に、世界的にも有名な地形があることを告げる。

片品川の両側には河岸段丘があります。とくに沼田付近の段丘はとてもはっきりしているので、世界的にも有名です。

隆起の問題を出した。

山はつねに隆起していますから、古い時代につくられた段丘は高いところに押し上げられてしまいます。

 

問題 沼田市街がのっている段丘は、いまの片品川から100 m も高いところにあります。沼田の土地がつくられたのは、いまから30万年前だとわかっています。以上のことから、沼田地域の隆起速度を求めなさい。

平野に話題を移した。

では、平野は?

平野は、つねに沈んでいます。沈降といいます。沈降している土地に川が土砂を山から運んできて、平らに埋め立てます。平野には大勢の人が暮らしています。

過去には、現在の自然環境と違った時代もあったことを伝える。

最近100万年間は、氷期と温暖期が繰り返しやってくる氷河時代です。

 

問題 いまから2万年前は、氷期(氷河期)でした。そのときの利根村はどれくらい寒かったでしょうか?

答え(北極くらい、アラスカくらい、北海道くらい)

谷川岳に関するややむずかしい問題も出した。

谷川岳には雪がたくさん降ります。一ノ倉沢の雪渓は秋まで残り、全部とける前に次の冬を迎えます。

 

問題 とけきらない雪が毎年毎年積み重なったら、一ノ倉沢には氷河ができるでしょうか?

答え(氷河ができる、氷河はできない)

 火山、隆起、河岸段丘、平野、氷河を1時間で説明するのは、盛りだくさんすぎた。問題自体もむずかしすぎたようだ。しかし理解できなくても、自分たちのふるさとを囲む自然の背後にこのような知が隠されている事実を生徒たちにわかってもらうだけでもよかっただろう。

 

利根中1年生の感想文

     火砕流の恐さや、とくちょうについて、よく分かった。山には、ふつうの山と、火山があることがあって、少しびっくりした。いろいろな問題を出してくれたりして、とても楽しかった。

     火砕流の映像をみて、火砕流はすごい、おそろしいと思った。火砕流は音がしないということを初めて知った。この授業で火砕流や火山のことなどいろいろ知れた。楽しい授業だった。

     群馬県にある山などがよく分ったのでよかったです。それに火さいりゅうが危険などかも分ってよかったです。またきかいがあれば早川先生の授業をうけたいです。

     火砕流に勝てない!という題をみたときは、なんだこりゃと思っていました。しかし、あの映像をみたときはとても恐しいものを感じました。火砕流はこわいと思いました。

     説明の仕方が上手ですごく分かりやすかったです。分からない問題も考えればできました。今までは理科があまり好きではなかったけど、少しは好きになりました。ありがとうございました。

 

2003年3月 春日中1年(1日)

 

連絡窓口は諏訪(田村)知栄子教諭(群馬大学教育学部1995年3月卒)。訪問は授業日の一回だけ。3クラスでそれぞれ授業した。生徒からの質問を諏訪教諭からあらかじめ通告してもらってあった。

 

3月18日2時間目 1年3組「浅間山の黒岩と赤岩−前橋市をつくる大地の成り立ち−」

授業は理科室で行った。

導入のスライド

むかし200年前と2万4000年前に、浅間山がくずれて大量の土砂が利根川を流れ下りました。200年前の土砂には黒岩が含まれていました。2万4000年前の土砂には赤岩が含まれていました。

浅間山の写真や、赤岩・黒岩が現存する場所の写真と地図を多数示した。

まとめのスライド

2万4000年前のある日、浅間山が大きくくずれました。赤岩を含む大量の土砂が利根川をいっきに流れ下り、関東平野の北西すみの広い範囲に厚さ10メートルほどの地層を残しました。前橋市と高崎市はその上につくられています。

200年前の江戸時代にも、黒岩を含む土砂が利根川を流れ下りました。前橋市では一部に厚さ1メートルほどの地層が残りました。渋川までの区間で、約1400人が死にました。1783年8月5日の、暑い夏の日のことでした。

生徒の質問:日本が崩壊する時は震度いくつくらいですか?

早川の答え:(小説のような)日本沈没はありません。地震の揺れには限度がある。果てしなく大きくなることはありません。もしそうだったら、地球が壊れてしまう。震度7が最高です。

生徒の質問:地層の分け目はなんですか?

早川の答え:過去の海底面です。

 

3月18日4時間目 1年2組「浅間山の黒岩と赤岩−前橋市をつくる大地の成り立ち−」

3組の授業が終わったあと、堀が「先生、むずかしすぎる」と早川に耳打ちした。 2組では、黒板を使って、春日中の下の大地がどうなっているかをやさしく図説したりした。ゆっくり丁寧に話していたら時間が足りなくなってしまった。

生徒の質問:どうして火山は長い間噴火しないのですか?

早川の答え:火山とはそういうものです。噴火は、たまに起こるから勢いがいいのです。

 

3月18日5時間目 1年1組「浅間山の黒岩と赤岩−前橋市をつくる大地の成り立ち−」

3回目の1組でようやく納得のいく授業ができた。

生徒の質問:日本で一番激しかった噴火は?

早川の答え:2万4000年前の浅間山噴火では高崎・前橋・佐久が全滅しました。10万年前の阿蘇山の噴火では九州が全滅しました。

生徒の質問:エベレストはいまでも高くなっていますが、他の山もいまも高くなっているのですか?

早川の答え:はい、そうです。山は高いから山なのではなくて、いまも高くなっているから山なのです。

生徒の質問:大学の先生は大学でどんな理科の勉強をしているのですか?

早川の答え:??

 

春日中1年生の感想文

     早川先生の授業は、黒板に字を書くだけでないのでとてもわかりやすかった。パソコンをつかった授業もよかった。あさま山がいつ火山がふんかしてもおかしくないというのにびっくりしました。いつもとちがったかんじの授業だったのでとても楽しかったです

     早川先生はもっとこわい人だと思っていたけど私達に分かりやすく説明してくれました。浅間山が噴火して、どのくらい溶岩が流れたのか、どれだけの人が犠牲になったのかが分かりました。ミイラの写真を見た時は、噴火した溶岩のおそろしさがよく分かりました。浅間山が噴火してくずれた部分の写真を見て、浅間山が激しい噴火をしたのが分かってよかったです。

     早川先生の授業では写真を見ながら話を聞けてすごくわかりやすくて、すごくおもしろかったです。特に浅間山のことがよくわかってよかったです。できればぼくは黒岩や赤岩などの岩石を実物で見てみたかったなと思いました。この前テレビで関東に大きな地震がくるといってました。ぼくは「未来の地震はどうやって予想できるのかなと疑問に思ったので今度聞ける時間があったら質問したいです。

     いつもと少し違う授業でとても楽しかったです。自分の住んでいる前橋市は、浅間山の噴火によってできたと知ってとてもおどろきました。黒岩や赤岩を見たことがなかったので今度機会があったら見てみたいです。昔のことを聞いてとてもおどろきました。とてもわかりやすい授業でとてもおもしろかったです。

     私が一番、印象にのこったことが、九州地方のほとんどが全めつしたという火山の噴火です。この噴火では、約10000人の人が一気に、一瞬で、溶岩にのみこまれて、死んでしまったそうです。私は、このような話は初めてだったので、改めて、火山の噴火のおそろしさをおもいしらされました。少しの時間だったけど、とても良い話が聞けたので、よかったと思います。

 

200310 桃瀬小63日)

 

事前訪問で、各クラスに1時間の授業をしたのち、4日後に浅間山に野外見学に行った。その翌日事後訪問して、また各クラスに1時間の授業をした。担任は、井野教諭と岡野大介教諭。

 

10月3日2時間目 6年2組「溶岩と火砕流」

写真とビデオによる説明をおこなった。

     前橋から見た浅間山の写真…(説明)浅間山は白い。山が高いから雪が降り積もる。

     軽井沢から見た浅間山の写真

     西側から見た浅間山の写真

     六里ヶ原から見た浅間山の写真

     鬼押し出し溶岩の写真

     ハワイ、キラウエアの溶岩が流れるビデオ

     雲仙火砕流のビデオ…(説明)火砕流は音がしない。巻き込まれると死ぬ。溶岩は面白いから見に行く。しかし火砕流は危ない。

     モンセラート火砕流が海を走るビデオ

早川が、「浅間山は何年前にできたでしょう?」と問いかけたら、児童からは「百万年」などとあまり根拠のない答えが返ってきた。小学生は、人の一生の長さを超える時間の感覚をほとんど持っていないようだった。

人物のほうに向かって真っ赤な溶岩が迫ってくるビデオを見た児童たちは、「かっけー(かっこいい)」「逃げなくて平気?」「映画とは違うよー」「すっげーあっちい(熱い)」など興奮の声をあげた。

児童の質問:地層は火山だけでできているのですか?

早川の答え:噴火すると厚い地層がつもる。それ以外は薄い地層がつもる。また、一番地層がつもるのは水の中、あと砂漠。他には地震による山崩れなどもある。

児童の質問:地層は多くてどのくらい積もるのか?

早川の答え:いっぱい積もる。

児童の質問:最高で震度いくつまでゆれるのですか?

早川の答え:震度7まで。なぜなら気象庁が決めた震度がそこまでしかないから(笑)。大きな地震というのは、震度8や9まで揺れるのではなく、震度7の範囲が広くなる。

児童の質問:水の働きでできた地層に、なぜ恐竜の骨があるのですか?

早川の答え:恐竜が水辺にいたから。水を飲みに来たのかもしれません。

 

3 黒板を使って前橋の地下を図解説明

 

10月3日3時間目 6年1組「溶岩と火砕流」

冒頭でクラス担任の井野教諭が、「みんなの住んでいる大地はどうやってできた?」と児童に三択問題を出した。1)水の働き、2)火山の働き、3)両方に挙手させた。半数以上が3)だった。

「答えは早川先生から」とバトンを受けた早川の答えは、「前橋がある関東平野は利根川の運んだ礫がつくった」だった。県庁・桃瀬小・岩神飛石の地面の下がどうなっているかを黒板に図を描いて説明した。

 続いて写真とビデオを見せて説明した。(以下6年2組と同じ)

児童の質問:火山による地層はどれくらい(の時間をかけて)積もるのですか?

早川の答え:つもるのは一瞬。だけど冷え固まるのに10年くらいかかったりする。そしてそれが、上に積もった地層の重さで固くなるのに何万年とかかる。

児童の質問:火山の温度はどれくらい?

早川の答え:火口から出る瞬間は1000度くらいでだんだん冷えてくる。小さいと冷えやすい。大きいと冷えにくい。降って来るときはだいたい300度くらい。

 

10月7日 浅間山へ野外見学

野外観察の目的は二つあった。1)浅間山の噴火でどんな地層ができたか。2)私たちが住む前橋の大地はどのようにしてできたか、である。

児童たちは8時に桃瀬小学校からバスで出発した。早川と同行学生2人は、前橋市内の別の場所で待ち合わせて、自家用車で浅間山に向かった。児童たちとは六里ヶ原の駐車場で合流し、片蓋川の谷中にある崖の観察に向かった。

目的の崖に着くと、早川が、頭に固定したマイクと腰に取り付けたスピーカーをコードでつないだ拡声器を用いて説明した。両手があいた状態で使えるので、これはたいへん便利で効果的だった。そこに見られる地層には、1)火山灰が降り積もってできた地層、2)火砕流でできた地層、3)火山の噴火ではなく、風で運ばれたほこりが積もった地層があることを説明した。浅間山が過去に3回噴火したことがこの崖からわかることも説明した。

早川によるひと通りの説明が終わると、児童たちに地層を観察してスケッチさせた。まず遠目で観察し、次に地層に近づいて観察する。また遠目で観察するようにとアドバイスしたら、それを忠実に実行する児童が何人もいたので喜ばしかった。地層のスケッチの仕方がよくわからない児童のために、携帯用ホワイトボードにお手本を書いて岩陰に隠し置いた。

スケッチが終わると、児童は崖に貼りついて地層や石を観察した。火砕流の堆積物のなかに、丸い石が入っているのを見て、「これはどうやってできたのですか?」と聞いてきた。大きな軽石を砕いて小さな塊にして持って帰ろうとする児童もいた。

観察を中断させて児童たちを集め、中から元気がいい児童をひとり指名して、観察したことを発表させた。6年生にしてはなかなか上手に説明できた。3回の噴火を、西暦年ではなく、1)江戸時代の噴火でできた地層、2)安土桃山時代の噴火でできた地層、3)平安時代の噴火でできた地層、と早川が説明したのは児童にとってわかりやすかったようだ。多くの児童がそれら3つを正しくスケッチに描いていた。

 

 

4 岩陰に隠し置いたホワイトボードを参照する児童

 

すこし離れた地点に化石があることを告げて案内した。児童たちは勇んで向かったが、目的物が木の化石であることを告げられると、不満の色をみせた。動物の化石を期待したようだった。

 昼食のあと、鬼押出し溶岩の中をめぐるヒカリゴケコースを一周した。児童たちは最後のつり橋がたいへん気に入ったようだ。事前授業で見せた溶岩が流れるビデオに言及し、あれが冷え固まるとこの場所のようになると説明した。

次に、児童たちの目を浅間山に誘導し、2万4000年前に起きた山崩れで現在の形になったことを説明した。そして、その崩れた土砂が前橋と高崎の大地をつくっていると説明した。

同行学生2人は児童といっしょにバスに乗って前橋に戻り、県庁裏の崖でみられる地層を説明した。さきほど鬼押出しで早川が説明した2万4000年前の山崩れの土砂がこれであること、その上に1万6000年前の軽石がのっていることを説明した。また、この崖は、目の前を流れる利根川によって削られてできたことを説明した。児童は崖のスケッチをしてから、桃瀬小学校へ戻った。

 

10月8日2時間目、6年2組「浅間山がつくった前橋の大地」

1)  まず、きのうの浅間山見学ルートを地図で復習した。

2)  次にハワイの溶岩流ビデオを再度みせて、きのう見た鬼押出し溶岩もこのように流れてきたと説明した。児童は、ビデオでみた溶岩の表面の冷却した黒いクリンカーが鬼押出し溶岩にもあったと気づいた様子だった。

3)  浅間山の噴出物の分布地図と、その噴火によって流れてきた石やその地層の写真をみせた。浅間山の噴火によって流れてきた(飛んできた)ものが現在どこにどのように残っているかを説明した。しかし残念ながら、児童は、大きな石が流れてきたことを実感として感じ取れていない様子だった。

4)  高崎市中島町の利根川岸にある崖の写真が、きのう県庁裏でみたものと同じだと説明した。自分たちが見学したものとの比較なので、児童にはわかりやすいようだった。「こっちのほうが(よく見えるから、こっちを見たほうが)よかった」という反応が聞こえた。

5)  その地層には木が埋まっていて、この流れは途中の木をなぎ倒してきたと説明した。しかしこれはむずかしかったらしい。木が埋まっている事実を認識することはできるが、その事実から、それが意味することを想像するのは、小学6年生にはまだむずかしいようだ。

6)  火山とふつうの山の違い。富士山と穂高岳を比較して、火山は上から積もるが、山は下から隆起すると説明した。1年間に1ミリ隆起するとき、10万年では何メートル高くなるかを計算させた。できる児童とできない児童にはっきり分かれた。

7)  富士山が日本一の高さであることからの連想で、日本で2番目に高い山、3番目に高い山を地図帳から探させた。地図帳を使って自分で調べる練習もさせたいと考えたからである。

8)  山は隆起しているが、平野は常に沈降していると説明した。これについては、意外に感じた児童が多いようだった。

 

10月8日の授業中に桃瀬小6年生から受けた質問

・浅間山は何百年後にはどうなっているか?

・海底火山も熱いの?

・飛んでくる石の中で一番大きいものは何メートルくらいか?

・どうして火山は噴火するのですか?

・浅間は何で頂上が移動したのですか?

・浅間山が噴火したらどこまで火山灰が飛ぶのか?

・前橋の地層で一番古いものは?

・日本の地層で一番古いものは?

・溶岩に草が生えているのは、溶岩に栄養があるからなのか?

・海底で火山が起こると、海上ではどうなるのか?

・山の高さはどうやってはかるか?

・川がないと平野は海に沈むのか?

・平野は年間どのくらい沈むのか?

・浅間山は何で浅間山というのか?

・山が突然平野になることはあるのか?

 

10月8日3時間目 6年1組「浅間山がつくった前橋の大地」

1)  まず、きのうの浅間山見学ルートを地図で復習した。

2)  高崎市中島町の利根川岸にある崖の写真をみせて、きのう見た県庁脇の崖と同じだが、木が含まれていることから森をなぎ倒してきたことがわかる。しかし木が焦げていないから、この流れは熱くなかったことがわかると説明した。

3)  2万4000年前に浅間山が大きく崩壊したことを、流れてきた各地の赤岩(高崎の聖石・前橋の岩神飛石)の写真で説明した。

4)  火山とふつうの山の違い。以下、2組とほぼ同じ内容。

先にやった6年2組の授業は内容が盛りだくさんで忙しかったことを反省し、6年1組の授業は内容を削減してゆっくりやってみた。おかげで、1組の児童とは会話のキャッチボールができた。

 

まとめと反省

 

野外見学が児童生徒に与えるインパクトは大きい。その機会をできるだけ増やすことが望ましい。桃瀬小学校は、理科の教科別研究指定校になったのを機会に、従来の社会科見学をこれに変更したという。ほかにも、修学旅行や林間学校を利用する方法が考えられる。あるいは、総合学習の時間を使ってこのような野外見学ができないだろうか。

野外見学で子どもたちと初めて顔を合わせるのではなく、事前と事後に学校を訪問して授業をすると効果的である。授業する場所は、理科室よりも、ふだんの生活臭にあふれた教室がよい。自分の机と椅子に座ったほうが、子どもたちは短時間で自己を表現しはじめる。

一学年はふつう複数のクラスで構成されている。その場合、学年全員をひとつの教室に集めて合同授業をするより、クラス単位で授業するのがよい。特定のクラスだけに特別授業をするのはむずかしいから、学年のクラス数だけ授業をしなければならなくなる。たいへんだが、そうすべきだ。クラスごとに子どもたちの雰囲気は違うし、回を重ねることによって、授業を改良することができる。

「なぜ」の問いはたやすい。子どもたちは気軽に「○○って、なぜ△△なのですか?」と聞いてくる。この「なぜ」にはいろんな意味がある。自然は意志をもたないから、物事がそうなる理由を答えるのはしばしばむずかしい。しかし「どうやって」質問には、答えやすいし、答えないといけない。安易に「なぜ」の問いばかり投げつける前に、疑問をまず自分のなかで整理したのち、的確な言語を使用して質問する技法を子どもに身に付けさせることが必要だ。子どもの「なぜ」質問は、「どうやって」も含むから、まずは「どうやって」質問を上手にできるように指導することが肝要だ。ほんとうに理由をたずねる「なぜ」質問だった場合は、それへ答えることは簡単ではない。質問者の全人格と全経歴を知らないと答えられない質問かもしれない。ほんの数十分の接触だけで、そういった質問に答えるのは至難のわざだ。そういった質問には、その子どもに毎日接している担任教諭が答えるのがふさわしい。

(はやかわ ゆきお)(ほり まきこ)

群馬大学教育実践研究21号,20043