1999年地球惑星科学関連学会合同大会予稿集原稿

赤城山は活火山か?

Is Akagi an Active Volcano?

早川由紀夫

Yukio Hayakawa

By the Japan Meteorological Agency, Akagi is listed on Catalog of Active Volcanoes, based on a document, Azuma Kagami, written in 1251. The description is composed of only four characters of kanji as "Mt. Akagi fire". However, no deposit by an eruption is found above the 6th-century pumice bed, which erupted from nearby Haruna and covers the entire Akagi volcano. The date of the "fire" is May 11; this is among the driest season. At present, forest fires are frequently reported during the season in the district. There is no reason to deny an interpretation of the document as a forest fire. If the 1251 event was not an eruption, the youngest eruption of Akagi can be dated 24,000 years ago, which formed a lava dome, a tuff-ring, and a small explosion crater in the summit crater.

『吾妻鏡』の建長三年(1251年)四月の二十六日条に「去十九日(1251.5.11),上野國赤木嶽焼,為先例兵革兆之由,令在廳等申之由云々」とある.去る十九日に上野国の赤木嶽が焼けた.先例によると戦乱の兆候だというので,国府の庁にいる役人に報告させたそうである,という意味だ.

この記述だけを理由に,赤城山は気象庁によって活火山に指定されている.しかし「赤木嶽焼」に対応する噴火堆積物を現地で確認することはできない.山頂火口内でもっとも新しい噴火地形である血の池(小沼の西にある直径80mの小火口)は,6世紀の榛名伊香保軽石に覆われている.記事がいうところの四月十九日(5月11日)は一年のうちでもっとも乾燥する季節に当たるから,この『吾妻鏡』の記述は噴火でなく山火事の可能性がつよい.

建長三年(1251年)四月の現象には先例があったと書き記されていることも山火事説に有利である.人々の記憶に残って経験則が伝承されるほどの頻度(たとえば100年に1回程度)で当時噴火が繰り返されていたとは,その後の噴火が皆無であることからみて,はなはだ考えにくい.

守屋(1993,新井房夫編『火山灰考古学』,古今書院)は,地蔵岳南東麓で,榛名伊香保軽石の上を覆うクロボクの中に一枚の灰褐色火山砂層を1991年にみつけ,赤城山の 1251年噴火による堆積物だと考えた.しかしその場に居合わせた私にとって,その地層はどうしても噴火堆積物にみえなかった.風塵の堆積物すなわちレスであると思われた.

なお尾崎喜左雄(1973)は『宮城村史』のなかで,これは単なる山火事ではなく,赤城山南麓の宇通遺跡に当時あった寺院の火災であろうと推測している.木炭屑の上に1281年の浅間B軽石が堆積していることを彼はその推測の重要根拠にあげているが,浅間B軽石の噴火は1281年ではなく1108年であることが確実であるから(早川・中島,1998,火山),尾崎の宇通寺火災説はもはや採用できない.

[赤城山最後の噴火] 赤城山の山頂火口内にある小沼タフリングは,姶良丹沢火山灰(2万8000年前)と浅間BP軽石群(2万6500〜2万3300年前の間に4枚)の間に挟まれている(佐藤成夫,1998,群馬大学教育学部卒論).地蔵岳溶岩ドームと血の池火口も小沼タフリングとほぼ同時の噴火で生じたとみられる.したがって,赤城山最後の噴火はおよそ2万4000年前だと思ってよい.

[再噴火はあるか] 赤城山は過去2000年噴火していないどころか,完新世にも噴火していない.しかし同じ群馬県内にある草津白根山は,35万年前ころを最後に噴火をいったん止めたあと,1万9000年前からふたたび噴火を繰り返している.榛名山は,4万2000年前から噴火を再開するまで,20万年近くまったく噴火なしですごした.その後はおよそ1万年間隔で4回のテフラ+溶岩ドーム噴火を繰り返している.2万4000年の時間が,赤城山の地下のマグマが死に絶えたことを示すに十分な長さかどうかはたいへん疑わしい.