廣井研火山情報アンケート(2002年2月)から

 

(5)予知連の統一見解について

 

●火山活動が活発化すると、火山噴火予知連絡会がその活動に対する統一見解を発表します。また、最近では一火山学者としての個人的見解も報道やインターネットなどを通じて社会に伝えられることがあります。しかし,活動に対する見解が異なる場合もしばしば見受けられます。

 

Q8-1.あなたは、火山噴火予知連の統一見解と火山学者の個人的見解の関係についてどのように考えていますか。

 

1)火山予知連の統一見解を尊重し個人的見解は控えるべきである。 18.5%

2)個人的見解を公表すべきである。 48.1%

3)判断しかねる 33.3%

 

 

言論の自由はあるが、大学教授など社会的に特別な立場にある人はそのことを十分考慮した言動が望まれる。

 

個人的見解に自信があるのであれば、予知連委員に資料を提出し説明し納得させればよい

 

火山学者であっても,充分科学的な根拠なく(裏づけのない確率を示すなど)インターネットで発言されていた場合があったように思っている.このような場合,レベルは違っても”風評,デマ”のたぐいに近い場合があったと認識している.個人としては科学者としての良識ある発言とは思えないのだが,どうも本人はそれでよしと確信しているように見受けられる. 個人の見解を押さえ込むことが適当とは思わないが,少なくとも一般の人が混乱するようでは困る.一般人に判断できる知識,能力を身につけさせる日頃からの啓蒙,普及活動が重要ということか.

 

火山予知連の見解は公式見解。しかし、火山学者として「学者の名誉」を賭して発言なさるのならば一火山学者の発言まで制限するのは間違いだと考えます。(以下略)

 

現在の火山学では「科学的に」確実な予測を行うことは無理。したがって、火山学者間で意見が異なることは、サイエンスとしては当然。しかし、未体験の自然現象に直面して不安になっている住民に対して、何通りもある複雑な解釈を垂れ流しにするのは、情報を混乱させるだけ。もっとも起こりそうな現象、もしくは起こりそうな現象で最も危険度の高いものについての、「科学者」の意見を集約することは必要であると考える。

 

三宅の全島避難勧告がいつまでたっても出なかったのを見ていると、予知連の判断では詰めの甘さが見受けられるのも事実。個人的な見解が功を奏した例で、ある程度は自由な発言も容認してはどうか。

 

予知連の見解が正しいとは限らない。多数意見ということと考えられる。多様な情報を流すことは必要である。多くの見解があれば、市民はそれなりの判断を下すと思われる。問題は、研究者の個人的見解の表明の妥当性というよりも、市民の科学的理解にあると考えられる。このためには、普段からの情報提供および科学的教育(特に学校における)が重要と考えられる。

 

原則論は1であろう.現場で調査・観測している人々の意見と無関係に,マスコミを通じて自説を展開される方が少なからずおられる.特にマスコミで著名な方,あるいは有名大学の方であれば,マスコミはあたかも真実であるかのごとく発表し,現場に無用の混乱をひきおこすことになる. しかし今回の三宅島の火砕流についての発表をきき,予知連が常識外れの発表をした場合など, だまっていていいのかと考えさせられてしまった.