三宅島噴火災害はまだ始まったばかり
"みんなで知恵を、そして行動を、集中居住に向けて"

平成12年(2000年)12月8日 第1回三宅島噴火災害集会報告(衆議院第二議員会館) 

1 三宅島の噴火は世界的にも類をみない噴火、将来の予測も難しい
 6月26日夕刻の急激な地震多発に始まった三宅島の噴火災害は、当初は、今世紀過去3回の噴火と同様に1週間程度で終息するとみられていました。
 しかし、7月から始まった山頂火口の陥没は毎日約1000万立方メートルのペースで8月末まで続き、これまでに6億立方メートルの岩石が地中に姿を消しています(*1)。また、8月末から活発化した有毒火山ガスの放出は10月にかけて増加し、現在も毎日数万トンの二酸化硫黄を含む多量の有毒ガスが放出されています(*2)。
 これら火口の大規模陥没と有毒ガスの大量放出は、世界的にも現代観測史上、初めての現象です。現在も気象庁や大学等により観測が続けられていますが、火山現象がどう推移していくのか、三宅村民が島に帰住できるのはいつなのか、はっきりした見解を出すことがいちじるしく困難です。
*1:国土地理院による計測値
*2:工業技術院地質調査所及び気象庁による観測値

2 避難の長期化を想定していない現行法
 我が国には、災害対策基本法をはじめ災害救助法、激甚災害法(激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律)など、災害対策のためいくつかの法律があります。また、平成10年には被災者生活支援法が成立し、被災者へ最高100万円の一時金支給が可能になっています。
 しかし、我が国を襲う災害は風水害や地震、津波等、被害の拡大が比較的短時間で終息するものが多いこともあり、それらの法律は組織や計画の整備、応急災害や災害復旧に関する規定が大半で、今回のように長期間かつ見通しの立たない避難生活の想定については不十分なものとなっています。
 このことは平成3年から始まった雲仙・普賢岳噴火災害の際も指摘され、同年6月10日には、政府においても坂本三十次官房長官(当時)が国土庁に対し、被災者の住宅確保や生活保障などを中心に特別立法の準備を急ぐよう指示しましたが(*3)、結局立法措置は講じられませんでした。
*3:読売新聞(平3.6.11朝刊)

3 不十分な気象庁の情報発表、自治体との連携不足、伝わらぬ予知の限界
 今回、気象庁は6月26日に緊急火山情報(生命、身体に関わる火山活動が発生した場合またはそのおそれがある場合に発表)第1号を出しましたが、それ以降、三宅島伊ヶ谷地区に大岩が着弾した8月18日の噴火、神着地区などに火砕流が及んだ8月29日の噴火の際にも、また、極めて高濃度の二酸化硫黄が観測された9月以降においても、現在に至るまで緊急火山情報を発表していません。
 現在の科学においても火山噴火の予知技術はいまだ完全なものとはいえず、現行法において、火山現象の予報・警報までは気象庁の業務とされていません(*4)。法律に基づくことなく設置された火山噴火予知連絡会が、「見解」を発表しているだけです。しかし、石原慎太郎東京都知事は避難直前の8月30日に「火山噴火予知連絡会が公式な見解を述べてくれて初めて判断ができる」と語るなど(*5)、自治体等の防災機関が火山科学の限界を十分認識していない現実があります。
 このような気象庁の情報発表のあり方や自治体との連携が不十分なことが、三宅村民には気象庁不信、自治体不信として強く根付きました。
 また、本年の有珠山噴火災害においては、平素から災害対策基本法に基づき北海道防災会議専門委員に任命されていた火山学者が行政の判断を助ける重要な役割を随時果たし、東京都防災会議は噴火後の現在においてもそのような体制を取っていません。9月26日に「三宅島火山活動検討委員会」を設置し(*6)、これまで2回の会合を開いただけです(*7)。
 気象庁及び自治体は、このような状況を改善するとともに、住民に信頼される火山監視体制、情報伝達体制を確立していく必要があります。
*4:気象業務法第2条第4項第2号
*5:朝日新聞(平12.8.31朝刊)
*6:東京都「三宅島火山活動検討委員会」設置要綱(平12.9.26施行)
*7:東京都災害対策本部の対応等について(第176報;平12.10.2)(第222報;平12.11.17)

4 村民の自立に向けた公的支援策の充実を
 三宅村民は、9月1日、災害対策基本法第60条に基づき島外に避難させられました。
 義援金の配分が始まり、年内には被災者生活支援金が支給されると伝えられていますが、財産のほとんどを島から持ち出せなかった村民たちには、今後の生活の不安が重くのしかかっています。
 平成3年から始まった雲仙・普賢岳噴火災害において、島原市は避難所から仮設住宅に移った住民にも、「食事供与事業」として食事又は食費(1人1日1000円)を一定期間支給しました。
 また、長崎県は既存の制度でカバーできない災害対策に充てるため「災害対策基金」を設立しました。これは「雲仙方式」として、その後の北海道南西沖地震や阪神・淡路大震災でも踏襲されています。
 これらの例も参考にして、被災者生活支援金支給に終わることなく、引き続き三宅村民の自立に向けた公的支援策の充実を目指していく必要があります。
 さらに商工業、農漁業者等、自営業に携わる者は、三宅島内での営業に関して多くの借金を抱えています。長期化する島外避難生活でこれを返済する術はありません。このままでいけば自己破産を余儀なくされる状況も考えられます。この点を考慮して、従来の経営環境に戻るまでの間、既存の借入金についての返済猶予、利息の免除、災害貸付への借換、返済期間の延長等をする必要があります。

5 長期避難中のコミュニティ維持のために
 都が村民のために用意した住宅は、23区東部から多摩地方まで広い範囲に散らばっています。居住先の選定も、三宅島での集落ごとに割り当てられているわけではありません。このことが、町内会ごとの避難が原則だった雲仙・普賢岳噴火災害と大きく異なります。
 避難生活の長期化に伴って、いま、三宅島で築かれてきた隣近所のコミュニティ、集落単位でのコミュニティ、さらには島全体のコミュニティが崩壊しつつあります。ひとり暮らしの高齢者や幼児などの災害弱者はもちろん、このまま放置すれば、働き盛りの成人までもが、島でのつながりを失い、帰島へ向けた生活意欲を失うでしょう。
 阪神・淡路大震災でも避難者はバラバラの仮設住宅で生活することになりましたが、官民一体の「被災者復興支援会議」が、「移動いどばた会議」と称した避難住民や支援者らとの意見交換会を4年間で143回開催するなどして、住民と行政、支援組織などの間をつなぐとともに、提言活動を行いました。そしてこの提言は、前述の災害対策基金を用いた対策を決める際に重要な役割を果たしました。この例も参考にして、現在希薄になりつつある行政と村民のつながりを確保し、村民の声を行政に反映して適切な対策を推進していく必要があります。
 今回の三宅島噴火災害においても、東京都と三宅村は、大学や民間と協力して「三宅島民情報ネットワーク」を構築する計画を発表しています(*8)。これは、島民にパソコンを配布し、行政との連絡やコミュニティ維持等に活用することを目指すものです。行政情報の公開体制の確保やボランティアによる操作支援を含め、計画の迅速かつ着実な実行が期待されます。
 避難の長期化を見据えた根本的な対策としては、島での集落ごとに集団居住することが考えられます。そのためには、他の都営住宅への転居を認めることによりできるだけまとまって住めるようにすること、さらには防災集団移転促進事業の活用等により集団居住を実現することが考えられます。
*8:東京都災害対策本部の対応等について(第200報;平12.10.23)

6 秋川での義務教育の抜本的見直しを
三宅村教育委員会は8月24日、村内の児童生徒を9月30日までの間島外避難させることを決定しました(*9)。これに従い、小学生47名と中学生31名が8月29日午後に三宅島を出て、30日には都立秋川高校の寮に入り、9月から同校の施設を利用して三宅村立小中学校の授業が行われています。
 その後、自主避難していた児童生徒が多数合流して,小学生数は9月11日に139名に達しました。しかし保護者から離れた厳しい寮生活のため転校が相次ぎ、12月7日現在で99名まで減少しました。中学生も同様に減少が続いています。このような親元から離れた寮生活は,当初見込みの1か月をはるかに超えており、多くの子どもたちが精神的限界に達しているようにみえます。この判断は、10月以降最大で1日あたり72名の子どもたちが、何らかの体調の異変を保健室に訴えていることからも裏付けられます。
 村から同校に派遣されている医師たちも「小学校低学年を中心に、集団生活が限界に達している。親元に帰したほうがいい」と三宅村教育委員会に報告しています(*10)。このような状況を継続しているのは、児童の権利に関する条約に違反していると考えます(*11)。
 また、特別教室や備品、教材、教具の不足等により十全な教育環境が整備されているとは言いがたい状況にあります。その意味でも、三宅村教育委員会による秋川高校での義務教育の維持は、教育基本法に定める教育行政の目標である「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」と大きくかけ離れたものとなっていると言わざるをえません(*12)。
 このような事態を打開するためには、秋川高校における小学校の寮制を完全に廃止し、親元から通学させることが必要です。保護者の秋川通学圏内への集中居住とスクールバスの運行、また転居の困難な保護者の場合には、避難住宅近隣の学校に転学しやすい環境の整備等、行政による積極的な改善が急務です。
 現状、秋川での全寮制小学校は多大な問題を抱えたまま、いま現在も子供たちはこのような環境におかれています。子供たちのために、一日も早い改善が望まれます。
*9 :三宅島児童生徒の島外避難について(平12.8.25東京都総務局災害対策部発表)
*10:読売新聞(平12.11.21朝刊 多摩版)
*11:児童の権利に関する条約第9条等
*12:教育基本法第10条第2項

7 まとめ
 三宅村全島避難から3か月がたちました。その間、行政や村民には、まもなく火山ガスの放出がおさまって早期に帰島できるだろうと期待する空気もありました。
 しかし12月1日、東京都は被災者生活再建支援法に基づく長期避難世帯の認定を行いました。これは、いまの避難生活が6か月以上継続する見通しを行政が公式に認めたことにほかなりません。
 避難生活は新しい段階に入っています。これまでのような一時的な対策でなく、先を見据えた対策が必要な段階です。立法と行政、民間、そして村民が、それをはっきりと目指した防災対策・行動をいま始めることが必要です。
 この噴火災害を生き抜いて、青い海に囲まれ緑の森に覆われた美しい島での生活を再び取り戻すため、いま最大限の努力を傾けましょう。


三宅島噴火災害集会参加者一同
 
平成12年(2000年)12月8日 
 
 
呼びかけ人
若竹りょう子(小金井市議会議員)
芦沢  一明(渋谷区議会議員)
佐久間 達巳(三宅村議会議員)
早川 由紀夫(群馬大学助教授)
村松  淳司(東北大学助教授)
冨田 きよむ(有珠山ネット代表)
 
賛同人 
別紙172名(参加者含む)