八ヶ岳の崩壊と平安砂層

中央自動車道長野線 埋蔵文化財発掘調査報告書15
--長野市内その3-- 石川条里遺跡 第1分冊 1997
カラー口絵
 
「水田面には深さ5cm程の凹凸が顕著で,人の足跡が歩行列として明確に検出された.
(中略)
畦畔の区画と歩行列が同一であることから平安水田が埋没する直前と判断され,鋤,
鍬の耕作痕がなく足跡だけで埋め尽くされた水田の状況からは田植え・除草の作業が
想定される」(325ページ)
 
現在の善光寺平南部は,日本で最も田植えの遅い地域として知られ,7月末まで田植え
が行われている(臼居直之私信,1999.12.28).
 
したがって,この洪水が発生したのは仁和三年七月三十日(887年8月22日)ではなく,
仁和四年五月八日(888年6月20日)だと考えられる.


千曲川に沿った1〜17の遺跡で洪水砂層に覆われた平安時代の水田が検出されている.