火砕流と熱雲の堆積物
Ignimbrites and Nuee Ardente Deposits
 
 浅間山では1783年に山頂の北4kmの地点から,また2万2600年前に山頂の南東10kmの地点から熱雲が発生している.

 有珠山では1822年3月29日の熱雲で59人が犠牲になっている.
 1783年8月5日10時ころ,山頂火口から北側へ流れ出していた鬼押出し溶岩の先端が減圧爆発して熱雲が発生した.爆発源のすぐそばには厚さ5mほどの砂礫層が残されている.この写真の下半分はシルトをほとんど含まない青黒色の砂礫だが,上半分はシルト粒子も含むので淡色である.炭化樹幹を含む.
(群馬県長野原町の町営火山博物館の1992年基礎工事のときに出現した断面)
 熱雲の発生とともに鬼押出し溶岩の先端から飛び出した岩塊.同時に発生した岩なだれによってここまで運ばれてきて,その堆積物の上にのっている.鎌原村を襲った岩なだれの堆積物の中にも数%の割合でこれと同じ岩塊が含まれている.流理に沿って剥離が生じ,さらにそれに強い力が加わって変形している.
(群馬県嬬恋村六里ケ原)
 軽井沢駅と中軽井沢駅の中間北側にある離山は2万2600年前に生じた溶岩ドームである.この溶岩ドームの上昇にともなって熱雲が発生し,南軽井沢一帯を焼き払った.熱雲から上昇したサーマル雲は風で北東方向へ流されて榛名山の上に火山灰を降らせた.板鼻褐色3軽石と白糸軽石の間のレスの中を注意深く捜すと,青白色の火山砂の小さなパッチとして見つかる.黒雲母を含むことが一大特徴である.
(左:雲場熱雲の堆積物,軽井沢町塩沢;右:それのサーマル火山灰雲,群馬県吾妻町長藤開拓)
 有珠山の1822年文政熱雲の堆積物.下位の1663年堆積物も熱雲によるもののようだ.
(有珠山麓)