ゑれきてる連載 日本の火山 新しい火山観をめざして

第5回 有珠山 2004年4月

予知できた2000年3月の噴火

予知情報を社会に生かすしくみがあった

 

▼噴火予知できる火山

 

いま大勢の観光客でにぎわっている洞爺湖温泉は、1910年(明治43年)の有珠山噴火のあとに湧出した温泉です。このときの噴火は、災害だけでなく恵みももたらしました。1910年のあと有珠山は、1944年と1977年にも噴火しました。34年と33年の間隔で噴火を3回繰り返しましたから、4回目の噴火は2010年ころになるだろうと、火山学者も含めて、多くのひとが予想していました。20世紀に起こったそれら3回の噴火では、いつも噴火直前に火山直下で地震が多発しました。ですから有珠山は、三宅島とともに、日本で噴火予知ができる数少ない火山のひとつだとみられていました。

 ところで、火山学者が発信する予知情報を社会に生かすためには、それを迅速にうまく伝達するしくみがなければなりません。また予知情報を受け取った住民が、それを冷静に受け止める知力をもつことも必要です。ここでは、2000年3月の有珠山異常に気づいた気象庁と火山学者の判断が社会にどのように伝えられたか、そして法律に基づいたどのような防災対応がとられたのかをみていきましょう。

 

南から見た有珠山と洞爺湖。有珠山は、洞爺湖カルデラという大きな火山の一部に当たります。カルデラの南縁にたくさんの溶岩ドームが群がって有珠山をつくっています。洞爺湖の中央にある中島も、複数の溶岩ドームの集合体です。

 

▼予知された噴火

 

予想より10年も早い2000年3月27日、有珠山直下で地震が増えていることに気象庁札幌管区気象台の職員が気づきました。同じころ、北海道大学有珠山火山観測所でもその異常に気づきました。両者は互いに連絡を取り合って、日付が変わったばかりの28日0時50分に気象庁が火山観測情報1号を出し、有珠山の地下で無感の地震が増えていることを伝えました。続いて2時50分には臨時火山情報1号を出して、1時31分の地震が洞爺湖温泉で有感だったことを伝えました。

28日11時、同観測所長の岡田弘教授が地元の壮瞥町役場で記者会見して、「現在のような活動をして、噴火しなかったことは過去にない」とコメントを出しました。これとほぼ同時に気象庁も、11時55分に臨時火山情報3号を出して「今後噴火する可能性があり」と、伝えました。

翌29日11時10分、気象庁は緊急火山情報1号を出して「今後数日以内に噴火が発生する可能性があり」と、きわめて明確な噴火予知を行いました。噴火は、それから50時間後の31日13時08分に始まりました。

 

大有珠と昭和新山(右の岩山)。昭和新山は1944年の噴火で、平地から盛り上がってできた溶岩ドームです。

 

▼絶妙だった緊急火山情報のタイミング

 

日本にあるすべての火山の状態は、気象庁が責任を持って24時間365日監視しています。特定の火山で異常が発生してひとの命にかかわる状態になったとき、気象庁は緊急火山情報を出します。異常の程度がひとの命にかかわるほどではないけれども、注意が必要なときは、臨時火山情報を出します。緊急火山情報と臨時火山情報を補うなど、火山の状況をきめ細かく伝える必要があるときは、火山観測情報を出します。

火山情報は、マスメディアを通して国民に伝えられます。2002年からは、気象庁自身もインターネットのホームページで火山情報を国民に直接提供するようになりました。緊急火山情報は特別に、その重大性のため、該当する都道府県知事に気象庁が直接伝えることになっています。

気象庁はすでに1991年と1993年の雲仙岳噴火で緊急火山情報を出したことがありました。しかしそれらは、危険な噴火の発生を確認したあとで出したものでした。一方20003月の事例では、緊急火山情報を初めて噴火前に出して、厳重な警戒を地元住民に呼びかけました。それは、噴火の50時間前という絶妙のタイミングで出されたのです。

緊急火山情報と臨時火山情報は、実質的には、それぞれ警報と注意報に当たると社会から認知されています。マスメディアはしばしば、「警報に当たる緊急火山情報」などと冠をかぶせて報道します。しかし火山現象の予報および警報を出すことは、気象庁に義務づけられていません。気象業務法によると、火山情報は警報でも注意報でもありません。火山噴火の予知は、毎日定時にお茶の間に届けられる天気予報のようには、まだ実用化されていません。有珠山における20003月噴火予知の成功は例外的なものだったとみるべきです。他の火山でこのような見事な予知ができる見込みは、残念ながら、まだありません。

 

▼社会対応は災害対策基本法で

 

わが国の防災対策は、災害対策基本法に従って行われます。この法律は、19599月の伊勢湾台風のあと、1961年に作られました。この法律は、防災を第一次的には地方公共団体の責務とする考え方で書かれています。

防災を実現するために、国は中央防災会議を内閣府に置いています。地方公共団体は、地方防災会議を置きます。ただし都道府県防災会議はどの都道府県にも設置されていますが、市町村防災会議は必ずしも設置しなくてよいとされています。防災会議は、平時の防災計画および災害発生時の緊急措置を作成します。

災害が起こると、都道府県知事または市町村長は、みずからが本部長になる災害対策本部を設置します。20003月の災害対策本部は、壮瞥町が28830分に、伊達市が同日930分に、虻田町が同日1730分に、そして北海道が翌291030分に設置しました。

住民への避難の勧告または指示は、市町村長が出します。ただしこの勧告または指示に反しても、罰則はありません。避難命令に相当するものとして、警戒区域の指定があります。市町村長は、警戒区域を指定してそこからの退去を住民に命ずることができます。これには罰則規定があり、違反した者には10万円以下の罰金または拘留が課せられます。

 

▼緊急火山情報を受けて避難勧告

 

伊達市・虻田町・壮瞥町は、緊急火山情報1号の発表を受けて、29日午後、危険地域の住民に対して避難の勧告と指示を出しました。地域を特定する際に、岡田教授ら北海道防災会議の委員がアドバイスしたものとみられます。避難命令に相当する警戒区域は、この噴火では最後まで指定されませんでした。

31日の噴火開始後すみやかに、国土庁長官を本部長とする非常災害対策本部が1430分に設置されました。国家的立場から災害応急対策を推進しなければならないほどの災害が発生したときには、非常災害対策本部が総理府に設置されることになっていました(現在は内閣府に設置されることになっています)。有珠山噴火の重大性を、国はこのように認識したのです。

非常災害対策本部を上回る防災組織として、内閣総理大臣みずからが本部長となる緊急災害対策本部の設置規定が同法にありますが、これは、首都東京が壊滅的打撃を受けるような、国が総力を挙げて災害応急対策の推進に当たらなければならないときに設置される例外的なものです。火山災害で緊急災害対策本部が設置された例はありません。

 

 

2000年噴火の現場は遊歩道がつくられて、火山学習の材料として利用されています。大勢の観光客が訪れています。

 

▼学術判断は火山噴火予知連絡会が下す

 

噴火中の火山に対する国の学術判断は、火山噴火予知連絡会がすることになっています。同会は、測地学審議会の建議に沿って1974年に組織された気象庁長官の私的諮問機関です。私的諮問機関は審議会と違って法令上に設置根拠をもちませんが、その経費は国費から支弁されています。ですから、「私的」の意味を誤解してはなりません。私的諮問機関の中には、審議会よりも大きな影響力をもつものが少なくありません。

実際、火山噴火予知連絡会は、伊豆大島1986年噴火や雲仙岳1991年噴火などの経験を通して、現在進行中の火山噴火について学術判断を下す国の最高意思決定機関であると社会から認められています。同会の委員には大学教授などの火山学者だけでなく、内閣府・文部科学省・国土交通省などの行政機関職員も含まれています。外国では、国立の単一機関がこの役割を担っている例が多いですが、日本では監視も判断も国立の複数機関が分担して行っています。

 20003月の事例は、有珠山の几帳面さもあって、噴火開始にかかわる学術判断に異論はなかったようでした。しかし噴火の推移や終息をめぐる学術判断には、学者間に激しい意見の対立があったようです。ただしこの意見対立が外に漏れることはほとんどなく、外部には統一した見解だけが発表されました。同会が統一見解を出すことの功罪については、同会の意見発表を学術判断だけに留めるべきか、それとも行政判断まで踏み込むべきかの議論とともに、次回の「伊豆大島」で述べましょう。