ゑれきてる連載 日本の火山 新しい火山観をめざして

第1回 浅間山 2003年12月

リスクを管理して上手に火山とつきあう

危険レベルの発表で迅速な登山規制・緩和が可能に

 

気象庁による危険レベル数値発表

 

この11月から気象庁は、浅間山を含む5火山の危険度を0〜5の6段階数値レベルであらわすことを始めました。火山で地震が多発したり火山灰が噴出するなどの噴火が発生したとき、気象庁はこれまで文章だけの火山情報を発表してきました。しかしこれからは、浅間山、伊豆大島、阿蘇山、雲仙岳、桜島に限っては、数値による危険レベルを必ず付けて発表することにしました。

火山の危険度を数値化したこの方式はたいへんわかりやすいと、登山制限などによって火山の危険を管理すべき責任を負っている地元自治体から歓迎されています。気象庁は、数年かけてこの方式を他の火山に順次拡大していきたいと考えています。

 

浅間山は危険レベル2

 

危険レベルの数値は、5火山一律の基準で決められています。レベル0は噴火や異常が何百年以上もまったくない状態ですから、今回指定された日本有数の火山5つにはあてはまりません。レベル1は、地震や熱などに異常が認められる状態です。伊豆大島と雲仙岳がいまこの状態にあります。

異常の程度が顕著になるとレベル2になります。浅間山と阿蘇山と桜島がいまこの状態にあります。噴火の可能性が高まったり、小〜中規模噴火が起こるとレベル3になります。もっと大きな噴火が起こったりその心配が出てくると、レベル4、さらにレベル5となります。

浅間山で過去に発生した異常や噴火をこの基準にあてはめてみると、表1のようになります。

 

表1 気象庁による危険レベル

 

 

浅間山の過去事例

レベル5

きわめて大規模な噴火およびその可能性

1108年の噴火、1783年の噴火。

レベル4

中〜大規模噴火およびその可能性

1973年の噴火。

レベル3

小〜中規模噴火およびその可能性

1983年の噴火、20009月と20026月の地震多発。

レベル2

やや活発

1990年の噴火、20026月以降現在までの噴煙多量。

レベル1

静穏

上記以外の時期。

レベル0

長期間静穏

近年は、なし。

 

 

南西上空から見た浅間山。山頂火口の中心から500メートルまでを赤で、2キロまでをオレンジで、4キロまでを黄で着色した。国土地理院の数値地図を利用した。

 

浅間山1973年の登山規制

 

20世紀前半の浅間山はいまよりずっと頻繁に爆発していました。寺田寅彦は、19358月に軽井沢で経験した二回の爆発の様子を『小爆発二件』という随筆の中に詳しく書いています。爆発のとき小浅間ですれちがった四人連れの登山者が、そのまま平気で山頂までのぼって行ったそうです。

(『小爆発二件』は「青空文庫」で読めます

http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person42.html

 

当時は、レベル3でも(ときにはレベル4でも)浅間山に登ることに制限はなく、登山者が自由に自己責任で山頂をめざしていたようです。その結果、1911年から1961年までにあった12回の爆発で30人を超える犠牲者が出ました。

1973年2月1日、浅間山は11年3ヶ月の静穏を破って突然爆発しました。このとき地元自治体は、山頂から4キロの範囲を災害対策基本法63条に基づいて警戒区域に指定しました。浅間山の登山が初めて公式に法的根拠をもって禁じられました。この爆発は一回で終わらずに何回も繰り返しましたが、ひとりの死傷者もなく5月末に静かになりました。

 

増えた登山者

 

しかし不思議なことに、警戒区域の指定はその後長い間解かれませんでした。わずかに、1980年代になって、軽井沢側では小浅間まで、小諸側では湯ノ平(山頂から2キロ)まで登山できるように軽微に緩和されたのみでした。

書店で購入できる登山地図には、浅間山頂までの道が書かれていません。しかし山頂火口の周辺は、20世紀前半に頻発した噴火のため森林が失われて砂礫地になっていますから、実際にはどこでも歩けるし、しっかりとした踏み跡もついています。山頂に立てば、深い噴火口をのぞくことができるし、360度の展望を楽しむこともできます。登山愛好家のなかでは、浅間山は登るとたいへん楽しい山であることが公然の秘密になっていました。

1999年4月20日に山頂で四人の登山者が道に迷って凍死したニュースが報道されると、この秘密を知る人が一気に増えて、その年の浅間山は例年をはるかに超える数の登山者でにぎわいました。

 

浅間山は、黒斑山(くろふやま)・仏岩(ほとけいわ)・前掛山(まえかけやま)からなる三重式の火山です。黒斑山は安山岩からなります。末期にデイサイト軽石を何回か噴出しました。仏岩はデイサイト溶岩と軽石からなります。前掛山は安山岩の火山錐です。

 

1783年の噴火で浅間山の北側に流出した鬼押出し溶岩。表面には溶岩塊ばかりが見えますが、内部には高温の溶融体が冷却してできた固化体が隠れています。

 

山頂火口から3キロ離れた石尊山の地表にころがる岩塊。20世紀前半に頻発した爆発のとき、山頂火口から弾道軌道を描いて飛んできました。

 

 

規制解除への動き

と浅間山の活発化

 

この実態を知った小諸市は、できる限りの処置を施した上で浅間山に登ることを公式に認めたほうが、むしろ登山者の安全を守ることができると考えました。同市は、浅間山に詳しい複数の火山学者を招いて浅間山登山規制調査検討委員会(小坂丈予委員長)を組織し、規制解除の方法を具体的に検討し始めました。

 委員会では、「地元自治体の防災職員の中にも山頂まで登ったことがない人がいる。ふるさとの山に登ったことがなくて、その山の防災がうまくできるだろうか?」「平時には、山頂まで登山することを奨励して大勢の人に浅間山に親しんでもらったほうが、防災のためにはむしろ有効だろう」など、小諸市の考え方を支持する意見が圧倒的でした。

そして、1)登山道と看板を整備する、2)山頂に避難シェルターを設置する、3)中腹の火山館を改築して管理人を常駐させる、4)黒斑山の警報スピーカーを増強するなど、9項目の防災対策が施されれば、登山者に自己責任で浅間山の登山を楽しんでもらってよいとする結論に達しました。

 

再び活発

 

しかし、国の関係省庁や県の了解も得られ、規制解除の実施が目前に迫ったころ、いったん足踏みせざるを得なくなりました。四半世紀続いた浅間山の静穏が突然破られたのです。

2000918日、軽井沢測候所の地震計の針が頻繁に振れ始めました。その震源はすべて、浅間山の直下に求められました。1時間の回数が15回を超えた19940分、気象庁は火山情報を出して注意を喚起しました。夕刻には1時間の回数が40回まで増えたので、2050分に再度火山情報を出しました。噴火する可能性が高まったのです。

この異常事態発生に小諸市は次のように対応しました。最初の火山情報発表の1時間50分後、黒斑山に設置したスピーカーから山頂付近にいた登山者に向けて、ただちに下山するよう呼びかけました。夜に臨時火山情報1号が発表されると、ただちに規制を2キロから4キロに拡大しました。翌朝は、市職員が登山口に立って、知らずにやってきた登山者に事情を説明して理解を求めました。

この異常は噴火に至ることなく1週間後に収まりました。しかし、その年の12月、山頂火口から多量の白色噴煙が上がるようになりました。

噴煙の白色は、水蒸気を中心とする火山ガスだけが火口から出ていることを意味します。このような状態は噴火といいません。火山灰まじりの有色の噴煙が出たとき初めて噴火といいます。

 

前橋市からみた浅間山の噴煙。2001220日。

 

28年ぶりの規制緩和

 

白煙は上がるけれども地震の数は少ない状況が10ヶ月続いた2001723日、浅間山の登山規制緩和が28年ぶりに実現しました。浅間山登山規制調査検討委員会の答申を受けて、浅間山火山対策会議が小諸側の規制を500メートルまでに緩和することを決めました。釜山火口縁には立てませんが、前掛山頂まで登れるようになりました。

山頂までの登山を許可しなかったのは、1982年や1983年のような爆発の前兆を、いまの観測システムではとらえることができないからです。1982年や1983年のような爆発は、危険レベル1の状態からでも前触れなく突然起こり得ます。そのような爆発を火口縁で経験したら命にかかわりますので、少なくとも500メートルは離れる必要があると判断されました。

 

群馬県カメラに写った山頂火口底の火炎。

 

緩和から11ヵ月後の2002670時、山頂火口縁に据えられた群馬県カメラが火口底の火炎をとらえました。火口底に硫黄が昇華して、それが自然発火したのだと思われます。火口底から噴き出すガスに硫黄が多く含まれるようになり、かつ高温化してきたのです。

620日、白色噴煙がときに1000メートルまで上昇し、火口底の温度が176度あると気象庁が発表したことを受けて小諸市は、規制を500メートルから2キロに拡大しました。2日後には地震が多発して、さらに4キロに拡大しました。この異常は2週間続きましたが、噴火には至りませんでした。

 

火山をよく知ることが防災につながる

 

2003年になって、26日、330日、47日、418日と、噴火が4回続きました。噴火といっても、ごく少量(数百トン程度)の火山灰が放出されただけです。1回の噴火はほんの数秒の単発爆発で終わりました。山麓に音は聞こえませんでした。ビデオカメラに映った噴煙に色がついていたので初めてわかった微弱な噴火でした。

 

200326日の噴火(気象庁軽井沢測候所提供)

 

 

山頂火口からの白色噴煙は現在も噴出し続けています。浅間山の危険レベルを気象庁が数値で常時アナウンスするようになったいま、その危険レベルと小諸市の登山規制の関係は今後、表2のようになると思われます。これによって地元自治体は、危険が高まったときの規制強化だけでなく、危険が去ったときの規制緩和も迅速に行うことができるようになるとみられます。

噴火のリスクがほんの少しでもあれば登山を禁止する態度は、火山防災を実現しようとする立場からいうと、けっして望ましいものではありません。リスクは、日常生活に多かれ少なかれ常に伴います。ゼロリスクは存在しないのです。私たちはリスクと上手につきあっていかなければなりません。リスクが大きいときは遠巻きにして山から離れますが、リスクが小さいときは思いっきり山に近づいて自然に親しみましょう。そうやって山をよく知ることが、火山防災を実現する道につながります。

 

2 浅間山の危険レベルと登山規制の対応予想

レベル3

4キロ規制

レベル2

2キロ規制

レベル1

500メートル規制

レベル0

山頂まで可