5.現在進行中のプウオオ-クパイアナハ噴火

 キラウエアは1983年1月3日から噴火を続けている.すでに15年が経過した.これまで流れ出たマグマの量は2km3に達し,すでにキラウエアの歴史時代最大の噴火になった.

 これまで55の噴火エピソードが,HVOの火山学者によって区別されている.しばらく続いた静けさを破って激しい噴火が始まったり,新しい火口が開いたりすると新しいエピソードが宣言される.

 噴火開始から1986年6月まで,数週間の休止を打ち破って火口から噴泉が突然立ち上がり,それが数時間から数日間持続して,同時に溶岩を約1000万m3流出するエピソードが47回繰り返された.これによって高さ250mのプウオオができた.プウオオは「オオの丘」の意.オオは,すでに絶滅してしまったハワイ固有の鳥である.

 1986年7月20日,プウオオから東に4km離れたクパイアナハ(Kupaianaha)から噴火が始まった.地表に溶岩湖ができて,そこから50万m3/日の割合で溶岩が連続的に流れ出した(エピソード48).溶岩流は11月28日に海岸に達した.この状態は5年半継続したが,1992年2月17日,噴火地点は再びプウオオに戻って,そこからまた連続的に溶岩が流れ続けた(エピソード50).

 1997年1月30日,プウオオの西4kmのナパウ火口から突然溶岩が流出した.しかしそれは,わずか15時間で終わった(エピソード54).25日後の1997年2月24日,プウオオからの溶岩流出が再開した(エピソード55).エピソード55は現在継続中である.

 高温溶岩は,プウオオから直接地表へ流れ出しているのではない.もし地表に出たら,熱を大気へ放出してすみやかに冷え固まってしまい,海岸まで到達することができない.溶岩トンネルシステムが地下にできあがっていて,そこを通ることによってほとんど冷却されることなく10km先の太平洋まで達し,そこで海水に触れてはじめて冷却して固まる.これが,上に凸の断面をもつ盾状火山ができる仕掛けだ.溶岩トンネルの位置は,天窓(skylight)・火山ガスを放出する煙突・白色の昇華物の並びから知ることができる.高温溶岩のひとかたまりがプウオオから海岸まで流れるのに要する時間は約3時間だという.

 日本の活動的火山ひとつの平均的長期噴出率は1 km3/ky(すなわち70 kg/s)だから,いまのプウオオの噴出率 50 万m3/日(13000 kg/s)は,その200個分に相当する.大気汚染の主原因となる二酸化硫黄の放出量は,7000 トン/日だという.24km離れたヒリナパリで目にしみたわけが納得できる.

 最新の噴火情報はウェブでみつけよう.きれいな写真と図つきの詳しい解説がHVOにある.このページは二週間おきに更新される.また,HVOの火山学者がハワイ島の住民のために毎週Hawaii Tribune-Herald 紙に寄稿しているニュースレター "Volcano Watch" が,新聞発行後すみやかにハワイ大学に掲載される.

 海への流入口(ocean entry)は,いま二ヶ所ある.私たちはチェイン・オブ・クレーターズ道路の終点から西側のカモクナ(Kamokuna)流入口へ接近して観察した.東側のワハウラ(Wahaula)流入口から立ち上がる水蒸気柱のほうが少しだけ大きいようにみえた.

 噴火の観察 道路の終点には,公園係官の詰め所と仮設トイレがあるが,駐車場はない.行く手のアスファルト道路が溶岩流でいきなり断ち切られている.観光客は思い思いに車を路肩に停めて,500mほど離れた展望台まで歩いて行く.二ヶ所の流入口から立ち上がる二本の水蒸気柱をそこからみるのだが,双眼鏡で見ても迫力はいまひとつだ.当然,私たちは歩いて接近することにした.

 「これより先は危険」と書いた立て札がある.ただし立入規制は敷かれていない.立入許可書などというものも発行されていない.ビジターセンターのレンジャーに尋ねても,「溶岩の上を歩くのは危ない」とは言ったが,行くなとは言わなかった.アメリカ流だ.

 じつは私たちは,その日の朝,HVOの知人を訪ねて最新情報を得ていた.「みんな懐中電灯をもっているか?夜がすばらしい」と,彼は教えてくれた.

 数年前にできたばかりのパホイホイ溶岩の上を進む.踏み跡があるが,どこを歩いてもかまわない.途中,激しい雨に降られたが,1時間40分で目的地についた.

 高温溶岩は静かに海に注いでいるのではなく,数分ごとに爆発をくり返してスパターを飛散させていた.流入口のまわりには,それらが積み重なって高さ5mほどの小さなリトラル丘(littoral cone)ができていた.

 足元に目を移すと,10-20cmのスパターがいくつも転がっている.それほど古いものではなさそうだ.ときおり強い爆発が起こって,スパターの到達距離が大きく伸びるらしい.「スパターは高温だから,小さなかけらでも,もし体に当たったら大やけど間違いない」と同行者に注意をうながす.

 噴火観察者を脅かす危険は,スパターのほかにもうひとつある.新しくできたばかりの溶岩ベンチは不安定だから,いつ海中に没するかわからない.「1993年4月,それに巻き込まれたひとりが海に落ちて,いまだに行方不明のままだ.崖すれすれには近づかないように」と,HVOの知人は言った.急所はきちんと教えてくれる.

 溶岩ベンチが海中に没するときには大きな水蒸気爆発が起こって,堅い溶岩塊や高温のスパターを何十mも陸側に投出することがあるという.1997年12月23日から26日の間のいつか,カモクナ流入口のすぐ西にあった溶岩ベンチ4万4000m2 が海中に没したことを,私たちは後日ウェブで知った.私たちがそこを訪れたのは26日夕方だったから,足元にあった10-20cmのスパターはその事件で投出されたものだったのかもしれない.海面から立ち昇る湯気の範囲が,爆発で吹き飛ぶスパターの量から見込まれるよりずっと広いようにあのとき感じたことを思い出す.海中に没した高温の溶岩ベンチが海水を煮えたぎらせていたのだろうか.

 海面を漂流するスコリアがときおり見えた.しかしどれも2,3分以内に沈んでしまった.

 流入口から50mほど離れた溶岩の上に座って,夕暮れとともに赤みを増すスパターを見ながら夕食にした.学生たちは,海草のような溶岩薄膜(Limu of Pele)や長いペレーの毛を溶岩のすき間から採集することに余念がない.

 あたりが暗くなると,爆発のたびに白い水蒸気柱の内部が赤く輝いた.山側のプウオオの上にも火映ができた.プウオオの下に小さな赤い灯がポツンと見える.あんなところには人家も道路もないはずだが,と思って双眼鏡を向けると,弱い灯がほかにもたくさんあって一列に並んでいる.天窓の列だ.プウオオからここまで,地下につくられている溶岩トンネルの通り道がわかった.

 懐中電灯の明かりだけを頼りに,整然と一列縦隊を組んで戻る.車を停めた道路終点にある小さな灯を目印に進むが,テュムラス(tumulus)やプレッシャーリッジ(pressure ridge)がつくるわずか2mばかりの小山が行く手を阻む.

 途中,キプカとして残ったアスファルト道路の上で休憩した.全員寝転がって満天の星空をながめる.いくつか星が流れた.アンドロメダ星雲は肉眼ではぼんやりとしかわからないが,双眼鏡を使うと,さかなのかたちに見えた.北極星が低い.元気を回復して再び歩き始める.帰り道には2時間半かかった.


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