書評

石黒耀(いしぐろ あきら 2002.9.01)「死都日本」講談社.2300円.

 おもしろい.520ページの大部な本だが,読み始めたら止まらない.休暇旅行にこの本を持参した私は,夕方から読み始めて翌日の夜には読了してしまった.九州の霧島山で破局噴火が始まるのが6月18日16時19分(113ページ ).物語の最後で東京に火山灰が降り始めるのが27時間後の翌日19時(514ページ).物語の進行とほぼ同じ速度で読み進んだ私に,この作品が描き出す世界が迫真のリアリティーをもって迫った.

 九州の霧島火山から大量の火砕流が流出し,直径16キロのカルデラがつくられる.破局噴火である.火砕流から立ち昇った巨大な噴煙は上空の風に流されて東へ移動し,日本列島全体に降り積もる.火山灰に厚く覆われた日本列島には土石流があふれ,世界は異常気象に襲われる.

 いくつもの都市が文字通り死んでしまうような規模の噴火が,日本列島で実際に1万年に1回程度の頻度で起こることをこれまで火山学者だけが知っていた.たとえば屋久島の近くの鬼界(きかい)カルデラで7300年前に起こったアカホヤ噴火は,南九州の縄文文化に立ち直れないほどの深刻な打撃を与えた.地層の中から出土する縄文土器の形式は,アカホヤ火山灰の上下で激変する.土器形式の違いは文化の違いすなわちひとの集団の違いを意味するから,アカホヤ噴火によって南九州の文化は滅び,噴火後しばらくしてから別の文化をもった縄文人がその地に入植したと解釈できる.

 しかし現代都市がこのような破局噴火の洗礼を受けたことは,日本だけでなく世界にもまだ例がない(早川,1998).だから,現代人にとって未知の破局噴火をリアルに体験できるこの本は,火山学者の関心を釘付けにして離さない.

 著者は,1954年生まれの勤務医だという.最近の火山学の知見を,たいへんよく勉強している.たとえば「火砕流堆積物は白色だが,その上に空中で充分に酸化して赤く変色したサージ粒子が降り積もったので,血に染まった雪原のようなピンクの陸地である」(179ページ)などの記述には,専門家顔負けの感がある.いつ,どこで,このようなきわめて専門的なことを知ったのだろうか.

 火山学者が書いた本ではないのだし,エンターテイメントをねらったフィクションなのだから,火山学的な難をあげつらうのは野暮天のすることかもしれない.しかし,この機会に正しい火山学を一般市民に伝えたい意図から,この本にみられるいくつかの疑問点を以下に指摘してみたい.

火砕流の音 「地響きは耳を聾する轟音となり」(10ページ),「漁師の頭上を蒸気機関車が千輌突進してくるような音を轟かせ」(177ページ).どちらも火砕流の音を表現している.カルデラをつくるほどの大きな火砕流だから大きな音を伴うと思ってしまっても無理ないかもしれないが,じつは火砕流は,内部でガス流動化現象が起こっているため,ほとんど音がしない.だからこそ非専門家は,火砕流の恐怖をなかなか実感することができない.雲仙岳火砕流でたび重なる経験を積んだあと,「音無しの火砕流がこわい」と書いたのは,小林松太郎(1992「雲仙噴火の日々」葦書房)である.

第一宇宙速度 「火砕物の一部は第一宇宙速度を超えて地球の引力圏を突破した」(144ページ),「小片は宇宙まで飛んで行ってしまった」(212ページ).火山爆発で飛散した物質が地球引力を振り切ることはない.火山噴煙が上昇する原動力は,それが高温であるがために地球大気の中で獲得する浮力である.どんなに大きな噴火でも,噴出物の初速が600m/sを超えることはない.高さ50キロの噴煙でも,初速で上昇するのは根元の2-3キロだけにすぎない.それより上は,もっぱら浮力で上昇する.したがって,火山爆発で放出された物質が地球の引力を振り切って宇宙に飛び出すとは考えられない.

プリニー式噴火は数時間続く 「二分後,浅層マグマ溜りのプリニー式噴火が発生した.慌てた気象庁は,先に公表したハザードマップの危険地域内全自治体に,「至急,避難指示を出されたし」とファクスで督促した.しかし,このファクス文書の最終行が印字される前に破局噴火が発生してしまったのである」(151ページ).ここでいう破局噴火は,カルデラ形成を意味する大規模火砕流の発生である.空高く30-50キロもの高さの噴煙柱を立てるプリニー式噴火からそれに移行するのは過去にしばしば起こったことである.むしろこのシナリオがふつうだといってよい.しかしそれが,ファクスの印字が間に合わないほどの速さで移り変わることは考えられない.プリニー式噴煙柱が30-50キロの高さまで上昇するのに少なくとも1時間はかかる.立ち上がった噴煙柱は,数時間から数十時間維持される.プリニー式噴火は,このようなめざましい定常状態が出現する噴火様式につけられた名である.

噴石の飛行距離 「山体を構成していた重い堅い岩石があらゆる方向へ射出されるので,45度付近の射角だと意外な程遠くまで飛ぶと予測していたのだ」(156ページ).火口から放出される岩石が20キロも飛ぶとは考えられない.破局噴火であっても例外ではない.すでに上で述べたように,どんなに強い火山爆発でも噴出物の初速が600m/sを超えることがないからである.火口から投出されて弾道起動を描く噴石の到達距離はせいぜい5キロである.この性質を利用して,カルデラ噴火の噴出口の位置形状をつきとめた研究がいくつかある.

災害緊急事態 186ページにある「災害非常事態」は,正しくは「災害緊急事態」である.国の経済に重大な影響を及ぼすような異常かつ激甚な災害が発生したとき,内閣総理大臣が災害緊急事態を布告する(災害対策基本法105条).金融モラトリアムなど,戒厳令にも似た措置がとられる.災害緊急事態はこれまで布告されたことがない.1995年1月の神戸の地震の際も布告されなかった.これは,首都東京が壊滅的打撃を受けるときを想定してつくられた条文である.

クロボク土の農業生産力 268-269ページに,火山灰土壌であるクロボク土は農作に適さないとの記載があるが,これは誤解である.クロボク土はむしろ肥沃な土壌の代名詞として知られる.「新鮮な火山灰土」(361ページ)の表現にも違和感がある.降り積もったばかりの火山灰は火山灰土とは言わない.あくまでも火山灰である。降り積もったばかりの火山灰はたしかに農作に適さないが,それに長い時間が加わってできる火山灰土(クロボクが代表的)は,一般に肥沃で高い農業生産力をもつ.

多様な意見 ある火山で並外れた異常が検知されたとしても,それがカルデラ噴火に至るであろうとの予知が,ここに書かれたように専門家集団の一致した意見としてすんなりまとまるとは考えにくい.専門家の意見は,楽観的なものから悲観的なものまで,多種多様に分かれるであろう.火山学はそれほど成熟した学問ではない.あるいは,火山学はそもそも明解な唯一解が得られない現象を取り扱っていると考えるべきである.

ラハールの危険 破局噴火のあと,ただちに翌日からラハールの危険があるとする設定は行きすぎである.破局噴火がつくる火砕流の厚い堆積物は,水を瞬時に沸騰させるくらいの高温状態を長い年月保持する.表面は短時間で冷却するだろうが,それでも数ヶ月間はそこに流水が生じると思えない.高温の火砕流堆積物の上にのった水分はたちどころに蒸発してしまう.
 積灰があったすべて地域でラハールが発生するという設定も,行きすぎである.7300年前のアカホヤ火山灰の上をラハールの堆積物が覆っているのを見ることはほとんどない.カルデラ近傍を除けば,高台の平坦地のほとんどにはラハール被害が及ばないと考えてよい.

 カルデラ開口時の爆発のときに隠れた天神トンネルからもうしばらくのあいだ出なければ,主人公はこれほどの苦難をなめずに,もっと楽々と助かったかもしれない.二晩トンネル内でじっと我慢して,三日目の朝,高速道路上に薄く積もった火砕流ベニア堆積物がすっかり冷えたころを見計らってカリブで脱出するのが賢かった.もし私だったら,これを選択しただろう.しかしこれでは物語にならない.  

早川由紀夫(2002年12月14日)